2026/7/19
先日(6/8)、私は青春18きっぷの思い出についてブログを書きました。
あのときは、若い頃に日本中を普通列車で旅した記憶がよみがえり、どこか懐かしく、温かい気持ちになりました。
しかし、その余韻が残る中で目にしたのが、今回のニュースです。
「青春18きっぷ離れ」が止まらない――販売枚数がわずか2年で62万枚から24万枚へと激減したというのです。
これは単なる数字の問題ではありません。
私は、ひとつの「文化」が揺らいでいるのではないかと感じています。
青春18きっぷの魅力とは何だったのか。
それは、安さだけではありませんでした。
・好きなタイミングで使える自由さ
・仲間と分け合える柔軟さ
・時間をかけて移動する「旅そのものの楽しさ」
新幹線であれば数時間で着く距離を、あえて一日かけて移動する。
途中下車を繰り返し、駅前を歩き、見知らぬ土地の空気に触れる。
その一つ一つが、かけがえのない体験でした。
私自身も、あの切符一枚で、日本がぐっと身近に感じられた記憶があります。
ところが、2024年冬からの制度変更により、その本質が大きく変わってしまいました。
「連続日数での利用」「複数人での利用不可」。
一見すると合理化のように見えますが、これは利用者にとっては大きな制約です。
実際に、SNSでは「改悪」との声が相次ぎ、署名活動まで起きました。
今回の販売減少は、ある意味で当然の結果でしょう。
なぜなら、利用者が求めていた価値と、提供された仕組みとの間にズレが生じたからです。
この記事の中で印象的だったのは、
「青春18きっぷは将来の鉄道利用者を育てる入口商品だった」という指摘です。
まさにその通りだと思います。
若い頃に普通列車の旅を経験した人は、
社会人になってからも鉄道を選び続ける。
家族旅行でも、鉄道を使う。
つまり、青春18きっぷは短期的な利益ではなく、
長期的な「顧客育成」の役割を担っていたのです。
それを、効率化や省力化だけで見直してしまう。
この判断は、果たして正しかったのでしょうか。
最近は、飛行機の格安化も進み、若い世代の移動手段は大きく変わっています。
そんな中で、鉄道の魅力を伝える入口を自ら狭めてしまうことは、将来にとって決してプラスではないはずです。
私は、この問題は鉄道に限らないと思っています。
行政の世界でも同じです。
効率化やコスト削減は確かに重要です。
しかし、それによって本来の価値や魅力が損なわれてしまっては、本末転倒です。
「何のための仕組みなのか」
「誰のためのサービスなのか」
この原点を見失ったとき、制度は人から離れていきます。
青春18きっぷは、多くの人にとって
「いつかやってみたい旅」でした。
その憧れが、今も消えたわけではありません。
にもかかわらず、利用者が減っている――
ここに、今回の問題の本質があるように思います。
青春18きっぷが再び、多くの人に愛される存在に戻るのか。
それとも、このまま静かに姿を消していくのか。
かつてあの切符で旅をした一人として、
その行方を、少し寂しい気持ちで見守っています。
※7月20日から息子と、鎌倉、江ノ島に電車で旅に出ます。もちろん、一日乗車券を使って江ノ電を楽しむ予定です。また、ブログで報告できたらと思っております。
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