2026/6/19
硬い話のブログが続きましたので、今日は少し柔らかい話を書いてみたいと思います。
といっても、ただ明るく楽しい話というよりは、私がこれまで聴いてきた歌の中から、今も心に残っている一曲についてです。
中島みゆきさんの「成人世代」。
1981年のアルバム『臨月』に収録されている曲です。かなり古い曲ですので、知らない方も多いかもしれません。けれど私は、この曲が昔からかなり好きです。
https://www.youtube.com/watch?v=DbL4T2MYbcg&list=RDDbL4T2MYbcg&start_radio=1
優しいメロディなのに、歌われている世界は甘くありません。むしろ辛口です。人が生きていく中で感じる悲しみ、寂しさ、強がり、夢に傷つく感じ。そういうものが、静かに、しかし鋭く描かれている曲だと思います。
初めてこの曲を聴いたのは、中島みゆきさんの「オールナイト・ニッポン」だったような気がします。記憶は少し曖昧ですが、私にとってこの曲には、どうしても深夜のイメージがあります。
夜中にラジオから流れてくる声。
少し眠いけれど、なぜか眠れない時間。
昼間ならやり過ごせる気持ちが、夜になると急に近くに寄ってくる。
「成人世代」を聴くと、そんな空気を思い出します。
この曲には、悲しい気持ちや寂しい気持ちを抱えながら、それを知らないふりをして生きている人の姿が出てきます。泣き顔を思い出さないために笑う。憐れみに縛られないために踊る。そんな主人公の姿が、私には目に浮かびます。
人は、悲しいからといって、いつも泣けるわけではありません。寂しいからといって、寂しいと言えるわけでもありません。むしろ大人になるほど、平気な顔をするのが上手になってしまう。笑っているから大丈夫なのではなく、笑っていないと歩けない時がある。そこが、この曲の切なさだと思います。
そしてこの曲の大きなテーマは、やはり「夢」ではないかと思います。
夢を持つことは美しい。夢に向かって努力することは尊い。私たちは、そう教えられてきましたし、実際にそうだと思います。けれど、夢を持つということは、同時に傷つく可能性を抱えることでもあります。
夢を追ったからこそ、届かなかった時に苦しい。
夢を信じたからこそ、破れた時に痛い。
夢を見たからこそ、現実の冷たさが身にしみる。
中島みゆきさんの歌う「夢やぶれ」という言葉には、単なる失敗ではなく、人生のどこかを預けていたものが崩れていくような重さがあります。
特に心に残るのは、周りの人がみんな幸せそうに見え、自分だけが転んでいるように感じる場面です。
これは、本当にそうだなと思います。
他人は、なぜだか何もかもうまくいっているように見えるものです。仕事も家庭も人間関係も順調で、悩みなどなさそうに見える。自分だけが苦労して、自分だけがつまずいて、自分だけがうまく歩けていないのではないか。そう思ってしまう瞬間は、誰にでもあるのではないでしょうか。
でも実際には、人の心の中までは見えません。
幸せそうに見える人にも、言えない悩みがあるかもしれない。順調そうに見える人にも、夜中に一人で考え込む時間があるかもしれない。笑顔の裏にあるものは、他人にはなかなか分かりません。
この曲は、そういう人間の弱さをよく分かっている歌だと思います。
そしてもう一つ、私が強く引きつけられるのは、世代について歌われているところです。
上の世代を追い越そうとすれば「しらけた」と言われ、下の世代から見れば「ずるい世代」と見られる。どちらからも、どこか勝手に名前をつけられてしまう。その感じが、とてもリアルです。
世代という言葉は便利です。
若者世代。中高年世代。高齢者世代。
氷河期世代。ゆとり世代。Z世代。
けれど、その言葉でひとまとめにされた瞬間、一人ひとりの顔は見えにくくなります。
「最近の若者は」と言われる若者にも、それぞれの苦しさがある。
「今の大人は」と言われる大人にも、背負っているものがある。
「昔の人は」と言われる年長世代にも、その時代を必死に生きてきた歴史がある。
私はこの曲を聴くたびに、世代で人を分かったつもりになってはいけないなと思います。
また、「電車のポスター」という言葉も印象的です。
昔は、電車の中吊り広告や駅のポスターが、人々に夢を見せていたのかもしれません。少し背伸びをすれば手が届きそうな暮らし。どこかへ行けば変われるような気持ち。今より少し華やかな人生。そんなものが、広告の中に並んでいたのだと思います。
今で言えば、それはスマホの画面かもしれません。
誰かの楽しそうな旅行。
誰かの充実した毎日。
誰かの成功。
誰かのきれいに整えられた暮らし。
手元の小さな画面には、いかにも届きそうな夢が、次々と流れてきます。
しかし、それは人生の全部ではありません。切り取られた一場面です。それでも私たちは、つい比べてしまいます。自分だけが遅れているのではないか。自分だけが平凡なのではないか。自分だけが、夢に届いていないのではないか。
そう考えると、この曲は古い曲でありながら、むしろ今の時代にも通じるものがあると思います。
時代は変わりました。ラジオからスマホへ、電車のポスターからSNSへ、夢を見せる媒体は変わりました。けれど、人が夢に惹かれ、夢に傷つき、他人と比べてしまう心のあり方は、あまり変わっていないのかもしれません。
では、夢など持たなければよいのか。
最初から期待しなければ、傷つかずに済むのか。
夢を手放せば、人は楽になれるのか。
この曲を聴いていると、そんな問いまで浮かんできます。
でも私は、やはり夢を持たずに生きることも、また寂しいことなのだと思います。夢は人を傷つけることがあります。けれど同時に、夢があるから人は歩けることもあります。
たとえ破れることがあっても、思い通りにならないことがあっても、それでも何かを願い、何かを追いかけてしまう。それが人間なのだと思います。
中島みゆきさんの「成人世代」は、夢を持つことの明るさだけを歌っている曲ではありません。むしろ、夢を持った人間が味わう痛みや孤独を歌っている曲です。
だからこそ、私はこの曲が好きなのだと思います。
元気を出せ、頑張れ、前を向け。そういう分かりやすい励ましではありません。けれど、悲しみや寂しさを抱えながら、それでも何とか歩いている人の隣に、静かに座ってくれるような歌です。
夜の街を一人で歩いているような主人公。
強がりながら、本当は傷ついている主人公。
夢に破れながら、それでもまだ夢の残り香を捨てきれない主人公。
その姿に、どこか自分自身を重ねてしまうのです。
若い頃に聴いた歌が、年齢を重ねてから、別の意味で胸に響くことがあります。
昔はただ好きだっただけの曲が、今聴くと、自分の人生のどこかに深くつながっていたことに気づく。歌というものは不思議です。時代を映すだけでなく、その時々の自分自身も映し出します。
「成人世代」は、私にとってそういう一曲です。
夢を見たあと、人はどこへ帰るのか。
夢に破れたあと、人は何を抱えて歩いていくのか。
この曲を聴くたびに、そんなことを考えます。
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