2026/6/8
昭和61年。高校2年生のころの思い出である。
当時の私は、正直に言えば、勉強というものにまったく興味がなかった。
机に向かうより、ラジオを聴いている時間のほうが楽しかったし、映画を観ている時間のほうが、ずっと自分には大切なものに思えた。
いまになって思えば、もう少しちゃんと勉強していれば、もう少し楽な人生だったのかもしれない。
しかし、あの頃の自分には、そんなことはわからなかった。
いや、わかっていたとしても、たぶん勉強はしなかっただろう。
ある日、テレビで『旅の重さ』という映画を観た。
そのときすでに、私には少し古い映画のように感じられた。主題歌を吉田拓郎が歌っていた。
「私は今日まで生きてみました――」
そんな歌い出しだったと思う。
最初は何気なく観ていた。
ところが、だんだん引き込まれていった。
主演は高橋洋子さん。
主人公は、おそらく高校2年生ぐらいの少女だったと思う。その少女が、一人で旅に出る。大きな事件が次々起こるというよりも、ただ、どこかへ向かって歩いていく。その姿が、なぜか心に残った。
なぜ、そんなに心に残ったのか。
当時はうまく説明できなかった。
ただ、自分の知らないどこかへ行ってみたい。
いまいる場所から、少しだけ遠くへ出てみたい。
そんな気持ちが、知らないうちに自分の中にもあったのかもしれない。
それから夏休みになった。
野球部の応援で、大垣北球場へ行った。
ところが、試合はなかなか厳しい展開だった。たしか1回の表に10点ぐらい取られて、そのまま負けてしまったように記憶している。
応援を終えて、球場から大垣駅まで歩いた。
夏の陽射しの中、負け試合の後の少しぼんやりした気持ちで駅へ向かっていた。
すると、駅で目に入った。
「青春18きっぷ発売中」
その文字を見た瞬間、何かが動いた。
この切符があれば、1日電車に乗り放題。
普通列車なら、どこまでも行ける。
それだけのことなのに、高校2年生の私には、まるで世界の扉が少し開いたように思えた。
とりあえず買ってみた。
そして、とりあえず電車に乗ってみた。
「とりあえず」で始まった旅だった。
ところが、電車を乗り継いでいくうちに、1日で東京まで行けてしまった。
東京まで行けたのなら、もう少し行けるのではないか。
そんな気持ちになった。
そして、気がつけば青森県まで行っていた。
今考えれば、嘘のような話である。
携帯電話もない。スマートフォンもない。乗換案内もない。親からすれば、たまったものではなかっただろう。
さらに、青函連絡船に乗って北海道まで渡った。
映画『旅の重さ』を観た少年が、青春18きっぷを握りしめて、気がつけば北海道まで行っていた。
書いていても、少し信じられない。
もちろん、若さゆえの無鉄砲さもあった。
いま同じことを息子がやると言ったら、親としては心配で仕方がないと思う。
それでも、あの旅が自分の中に残したものは、決して小さくなかった。
予定通りにいかないこと。
知らない町の駅に降りる不安。
普通列車の窓から見える、見たこともない景色。
そして、自分の足でどこかへ行くという感覚。
それは、教科書では学べなかったものだった。
息子も中学3年になった。
昔の自分と同じように、いきなり青春18きっぷで北海道へ行ってほしい、などとはさすがに言わない。
親としては、やはり心配である。
けれども、どこかで少しだけ、自分の知らない世界に踏み出してほしいとも思う。
安全で、無理のない形でいい。
近場でもいい。
一人で電車に乗ることでもいい。
自分で考え、自分で動き、自分の目で何かを見る経験をしてほしい。
人生には、勉強しておけばよかったと思うこともある。
しかし、勉強だけでは得られないものも確かにある。
あの夏、野球部は負けた。
けれども、その帰り道で見つけた「青春18きっぷ」は、私にとって別の試合開始の合図だったのかもしれない。
この続きは、またの機会に書きたいと思う。
青函連絡船に乗って北海道へ渡った高校2年生の私は、そのあと何を見て、何を感じたのか。
いま思えば、あれもまた、私にとっての「旅の重さ」だった。
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