2026/4/17
自民と維新、憲法9条改正で協議 見解に相違、すり合わせ急ぐ自由民主党と日本維新の会が憲法9条改正の議論を進めていますが、ここで一度立ち止まるべきです。
そもそも日本国憲法は、条文通りに運用されているのでしょうか。
現実には、「解釈」によって運用されている事例が数多く存在します。
憲法では、公の支配に属しない教育機関への公金支出には制約があります。にもかかわらず、私学助成は広く認められています。
これは「一定の公的関与があればOK」という解釈によって正当化されていますが、条文を厳格に読むならば、かなり踏み込んだ拡大解釈と言えるでしょう。
「憲法を守れ」といつも騒ぐ日本共産党は、私学助成については拡大解釈バリバリで合憲としています。

憲法は、特定の地域に適用される特別法について、住民投票による同意を求めています。
しかし実際には、ただの一度も実施されていません。
理由はシンプルで、「地域の利益になるなら不要」という解釈が事実上定着しているからです。
しかしこれは、条文に書かれた手続きを省略してよい理由になるのかという根本問題をはらんでいます。
天皇の行為は憲法で厳密に限定されています。たとえば外国大使の接受などが明記されています。
しかし現実には、皇族全体が公的役割を担い、また条文に明記されていない多くの活動が行われています。
これもまた、「公的・象徴的役割として必要」という解釈のもとで運用が広がっている例です。

本来、衆議院の解散は内閣不信任決議と結びつけて理解されるのが自然です。
しかし実際には、内閣の判断のみで解散が行われています。
これは憲法の規定を「内閣の助言と承認」という条文から最大限に拡張したものであり、まさに拡大解釈の典型例と言えるでしょう。

ここで重要なのは、これらが単純な「憲法違反」と断定できるかというと、必ずしもそうではない点です。
日本の統治は、憲法の条文そのものではなく、
内閣法制局や政府解釈によって支えられているのが現実です。
つまり、憲法は「守られていない」のではなく、
「解釈によって形を変えながら運用されている」とも言えます。
軍隊とは呼ばない自衛隊があるのは言うまでもないことですね。
かつては戦車のことは特車と呼んだりして、自衛隊では軍手以外なにひとつ「軍」という言葉をつけないそうで。
そこまでして拡大解釈をがんばる風土を作ってきたわけです。
しかし、だからこそ問うべきです。
そこまで柔軟に変えられる憲法を、改正する意味はどこにあるのか。
高市早苗首相は改正に強い意欲を示していますが、現実には解釈によって制度はすでに大きく動いています。
であるならば、本当に必要なのは条文の変更ではなく、
解釈の透明性
権力行使の歯止め
国民的合意の形成
ではないでしょうか。
憲法9条改正の是非を議論する前に、まず向き合うべき現実があります。
それは――
日本の憲法は「条文」ではなく「解釈」で動いているという事実です。
この構造を放置したまま改正を進めれば、
将来どのような条文になろうとも、同じように解釈で運用されるだけです。
だからこそ今必要なのは、改正のスピードではなく、
憲法と政治の関係そのものを問い直すこと
ではないでしょうか。
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