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歴史に呼ばれた日 〜関良助という忘れられた物語〜

2026/6/1

和三盆

東かがわ市を代表する特産品の一つです。しかし、その一粒の砂糖の向こうにある物語を知る人は、どれほどいるのでしょうか。
僕自身、子どもの頃は知りませんでした。

向良神社

小さい頃の記憶では、小高い山の上に小さなほこらがありました。子どもたちの遊び場のような場所で、何の神様なのかも分からないまま、みんなで「さとがみさん」と呼んでいました。
今から思うと、「砂糖の神さん」という意味だったのでしょうね。当時の僕にとっては歴史も由来も関係なく、ただそこにある身近な場所でした。

その後、僕は向良神社のすぐそばに住むようになり、今は向良自治会の自治会長を務めています。今の場所へ移ってきた頃には、地域の方々がのぼりを立て、小さなお祭りを開いていました。
決して大きな祭りではありません。けれど地域の人たちが集まり、神社を守り続けてきたことが伝わる温かな風景でした。残念ながら今は担い手も減り、その祭りも行われなくなりました。

そんな神社に祀られているのが、向山周慶と関良助という二人で、実は僕自身、議員になって初めて知りました。ここが和三盆づくりに貢献した二人を祀る神社だったということを。

和三盆そのものは知っています

もちろん何度も食べたことがあります。東かがわの特産品だということも知っています。けれど、その和三盆を作るきっかけとなった人たちがどんな人生を歩み、何を成し遂げたのかまでは知りませんでした。

向山周慶とは誰なのか。
関良助とは誰なのか。
なぜ二人は神様として祀られているのか。

そんな素朴な疑問から歴史を調べ始めました。すると、思いもしなかった旅が始まったのです。

東かがわだけでは終わらなかった

讃岐から阿波へ。
阿波から日向へ。
日向から奄美へ。
奄美から琉球へ。
そして中国へ。

一本のサトウキビをたどると、四百年以上前の人々の人生につながっていったのです。

調べれば調べるほど見えてきたのは、和三盆という文化は誰か一人が作ったものではないということでした。

中国で育まれた製糖技術。
琉球で広がった甘蔗栽培。
奄美で発展した黒糖文化。
そして阿波と讃岐で花開いた和三盆文化。

多くの人が知識や技術を運び、守り、つないできた結果として今の和三盆があります。

その歴史の中で、最初に出会った人物が奄美大島の直川智でした。伝承によれば、中国福建へ漂着した直川智は製糖技術やサトウキビ栽培を学び、故郷へ持ち帰ったとされています。史実として確認できない部分もあります。それでも奄美では今も語り継がれています。
もし直川智がいなければ、奄美の黒糖文化は生まれなかったかもしれません。

さらに歴史を追うと、阿波には丸山徳弥という人物が現れます。日向の国で学んだ製糖技術を持ち帰り、阿波和三盆の発展につながったと伝えられています。

そして讃岐には関良助がいました。関良助は奄美出身と伝えられています。病に倒れた関良助を向山周慶が助け、その恩返しとしてサトウキビの苗を持ち帰ったという伝承があります。当時のサトウキビは、今の感覚で言えば重要な技術や産業資源に近い存在でした。

黒糖は藩の財政を支える重要な産業です。

だからこそ関良助は、禁断の品とも言われたサトウキビを持ち出した人物として語られています。もちろん伝承です。断定できる史料ばかりではありません。それでも僕は思うのです。

もし直川智がサトウキビを運ばなければ。
もし丸山徳弥が技術を運ばなければ。
もし関良助が讃岐への道をつくらなければ。
今の和三盆文化は存在しなかったかもしれない。
そしてその先にある京都の和菓子文化も。
茶道文化も。
落雁も。
干菓子も。
存在しなかったかもしれません。

さらに現代では和三盆は新しい可能性を広げています。サプリメント、ラム酒、クラフトスピリッツ、観光、地域ブランドなど、一本のサトウキビが数百年の時間を超え、新たな産業へとつながろうとしているのです。

ところが歴史を調べる中で、どうしても気になることがありました。

直川智は奄美で語り継がれています。
丸山徳弥も阿波の糖業史にその名を残しています。

しかし関良助だけは、その存在が驚くほど人々の記憶の中にありません
和三盆を調べても、糖業史を調べても、地域史を調べてもその名前を見る機会は決して多くありません。

なぜなのだろう。

資料が少ないからなのか。
伝承だからなのか。
それとも歴史の流れの中で埋もれてしまったのか。

その答えはまだ分かりません。ただ一つだけ言えることがあります。

僕は向良神社の隣に住み、向良自治会の自治会長をしています。子どもの頃から遊び場だった「さとがみさん」。その神社に祀られている人物が、もしかすると日本の砂糖文化を変えた一人だったかもしれない。そう思うと、この不思議な縁を無視することができませんでした。

全ては縁から始まりました。

だから僕は、関良助という人物の人生をもう一度この地域に蘇らせたいと思っています。

英雄にしたいわけではありません。
神格化したいわけでもありません。

ただ、この甘味の道をつないだ大切な一人として、その存在をもう一度地域の人たちに知ってもらいたいのです。
歴史は有名な人物だけで作られるものではありません。
むしろ名前の残らなかった人たちによって支えられていることの方が多いのかもしれません。
関良助も、その一人だったのではないでしょうか。

和三盆の歴史を語るとき。
東かがわの歴史を語るとき。
そこに自然と関良助の名前が出てくる。

そんな未来をつくれたらいいなと思っています。甘味の道は終わっていません。

中国から琉球へ。
琉球から奄美へ。
奄美から讃岐へ。
日向から阿波へ。
そして京都へ。
さらに東かがわの未来へ。

その道は今も続いています。そして次のページを書くのは、僕たちなのだと思います。

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著者

山口 だいすけ

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肩書 ケアマネジャー・副議長
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