2026/5/30

交差点で街頭演説をするようになって、気づけば12年目になりました。今では当たり前のように立っていますが、最初からそうだったわけではありません。むしろ最初の頃は、交差点に立つのが恥ずかしかったんです。
そんなことばかり気になって、最初は交差点そのものに行けませんでした。だから、少し離れた道路の途中で、車通りも少ない場所を選んでマイクを持っていました。
「これで本当に意味あるのかな」
そんなことを考えながら立っていた記憶があります。今振り返ると、不思議ですよね。
議員になりたいと思っているのに、人前に立つのが怖い。でも、あの頃の自分には、確かにその怖さがありました。今日もいつもの交差点で立っていると、車が流れていきます。
東かがわのいつもの朝です。空は綺麗に晴れていて、山が遠くに見えて、風が少しだけ暑さを運んでくる。その中で、黄色い帽子と黄色い服を着た僕が立っている。
最初は「目立つため」みたいに思われることもありました。もちろん、目立つことがゼロとは言いません。街頭演説は、見てもらわなければ始まらない部分もあります。でも、12年続けていると、少し感覚が変わってきました。
最近は、「目立つ」というより、「当たり前にそこにいる存在」になりたいと思うようになっています。地域の人にとって、あ、今日もいるなと思われる存在。それくらいの距離感です。名前を覚えてもらえなくてもいい。政策を全部知ってもらえなくてもいい。ただ、「なんかいつも黄色い服を着て立ってる人」として認識してもらえたら、それだけでも意味がある気がしています。
実際、地域を回っていると、「黄色い人ですよね?」と声をかけられることがあります。
人違いだったらどうしようと思うこともありますよね。でも、あの黄色なので、多分間違いないと思ってくれます。それで相談を受けることがあります。
議員への相談というより、「いつも見かける人だから声をかけた」という空気感に近い気がしています。多分、僕が作りたかったのは、そういう関係性なんだと思います。特別な政治家ではなく、地域の日常の中に自然にいる存在。困った時に、「あの人なら声をかけてもいいかな」と思ってもらえること。
それが、街頭演説を続ける理由の一つなんだと思います。
もちろん、街頭演説はパフォーマンスと言われることもあります。実際、外から見ればそう見える部分もあるでしょう。でも、12年間立ち続けていると、その先にあるものが少しずつ見えてきます。
パフォーマンスの先にあるもの。それは、地域との信頼なんだと思います。一回だけ頑張ることではなく、当たり前のように続けること。特別な日だけではなく、普段の朝に立つこと。そうやって少しずつ、「地域の風景の一部」みたいになっていく。地方の政治って、本当はそういう積み重ねなのかもしれません。
派手な言葉より、毎日の積み重ね。
完璧な人より、そこにいる人。
地域の人が安心して声をかけられる距離感。
それを作るには、時間が必要なんだと思います。だから今日も、いつもの交差点に立っています。
もし見かけたら、気軽に声をかけてください。きっと、黄色いので分かると思います。

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ホーム>政党・政治家>山口 だいすけ (ヤマグチ ダイスケ)>「黄色い人」であり続ける理由について