2026/6/23
23日、沖縄は「慰霊の日」を迎えました。糸満市摩文仁の平和祈念公園で営まれた「沖縄全戦没者追悼式」には玉城デニー知事や高市総理らが参列し、正午には犠牲者に黙とうが捧げられました。
その式典で、高市総理がスピーチをした際、総理の言葉を遮るように多くのヤジが飛び交う一幕がありました。
「戦争反対!」「9条を守れ!」「24万人に謝ってこい!」沖縄「慰霊の日」 高市総理のスピーチにヤジの嵐
https://news.yahoo.co.jp/articles/b3d0f07ad9f150c4af1191936634cff6051fe990
報道によれば、高市総理がマイクの前に立ち、話し出す前から、会場からは「戦争反対!」「9条を守れ」「24万人に謝ってこい!」などのヤジが上がったとのことです。
総理は激しいヤジが響き渡る中、戦没者への哀悼の言葉を述べ、米軍基地負担の軽減や首里城の復元にも触れながらスピーチを続けられました。
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私としては、この光景に強い違和感を覚えましたし、大変残念です。
戦没者を悼み、静かに祈りを捧げるための場です。政治的な主張をぶつける相手も、タイミングも、場所も、ここではないのではないでしょうか。
亡くなられた20万人以上の御霊と、残されたご遺族の方々を前にして、まず大切にされるべきは静謐であったはずです。
もちろん、政治活動や言論の自由は民主主義の根幹であり、最大限に尊重されなければなりません。総理であれ誰であれ、その言動が批判の対象になること自体は当然のことです。
しかし、慰霊の場でも遠慮なくヤジが飛び交う。ここまでタガが外れてしまったのは、選挙中の妨害行為が事実上黙認されてきたことも遠因なのではないでしょうか。
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ここで触れておきたいのが、いわゆる「ヤジ排除訴訟」をめぐる司法判断です。
2019年の参院選で、街頭演説中にヤジを飛ばして北海道警の警察官に排除された2人が道を訴えた裁判で、最高裁は女性の排除について憲法が保障する「表現の自由」の侵害と認め、違法とする二審判決を確定させました。
露木康浩警察庁長官(当時)も「警察官の行為が一部違法とされたことは真摯に受け止めなければならない」と述べています。
表現の自由を守るという司法判断の理念そのものは、私も理解できます。権力に近い側が、批判の声を物理的に排除することには慎重であるべきです。
ただ、この判決が現場の警察対応を明らかに鈍らせている面も否定できないのではないでしょうか。
一線で警護にあたる警察官にとって、「どこまでが正当な言論で、どこからが妨害なのか」の線引きは極めて難しい。違法とされるリスクを負うくらいなら、と現場が萎縮し、結果として演説妨害が放置されやすくなる。
露木長官自身も「刻一刻と状況が変わる中で危険性を判断するのは極めて難しい判断が伴う」と述べており、現場の苦悩がにじんでいます。
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私が問題だと感じるのは、聴衆の「聞く権利」がこの議論からすっぽり抜け落ちている点です。
演説する側の表現の自由、ヤジを飛ばす側の表現の自由は語られます。しかし、その演説を静かに聞きたいと足を運んだ聴衆の権利は、ほとんど顧みられません。
一部の大声によって演説そのものがかき消されてしまえば、それは聞きたい人たちの権利を侵害していることになるのではないでしょうか。表現の自由とは、誰かの声で他者の声を封じてよい、ということではないはずです。
選挙の現場での萎縮が、やがて「ヤジを飛ばせばどんな場でも遮ってよい」という空気を生み、それがついに慰霊の場にまで及んだ。
今回の一件は、その地続きの帰結のようにも見えます。
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言論の自由と、聞く権利と、現場の安全確保。このバランスをどう取るのかは、確かに簡単な問題ではありません。
しかし、少なくとも戦没者を悼む場だけは、すべての立場の人が静かに頭を垂れられる場所であってほしかった。それが私の率直な思いです。
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ホーム>政党・政治家>おときた 駿 (オトキタ シュン)>表現の自由と聞く権利 ― 慰霊の日のヤジが問いかけるもの