2026/6/6
性表現全般の自由ではなく、性加害表現の自由のみを支持する人たちが、勘違いか、あるいは故意に「表現の自由支持」を名乗ってることがある。自分の特殊性癖にしか関心がないくせに紛らわしい言い方しないでほしい。
— おきさやか(Sayaka OKI) (@okisayaka) June 4, 2026
表現の自由の本質は、「自分が好きな表現を守る」ことではなく、「自分が嫌いな・不快な表現であっても守る」ところにあります。
むしろ後者にこそ、この原則の存在意義があります。
このコメントは「性加害表現」と自ら定義したカテゴリだけを切り捨てればよいという立場ですが、それは表現の自由ではなく、「自分が許容できる表現の自由」です。
その判断権限を国家や多数派に委ねた瞬間、守られるべき表現は時の権力の胸三寸で決まることになる。
歴史を振り返れば、「これは加害だから規制してよい」という論法で潰されてきた表現の中に、後に正当と認められたものがいくつもあります。
支持者の動機や性癖を問題にする前に、原則論として向き合っていただきたいと思います。
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