2026/9/7
2月8日の総選挙から半年あまり、三党の合流は当初の約束どおり進むものと信じてきました。しかし中道改革連合と立憲民主党、公明党の合流は、実を結びませんでした。さらに、公明党から加わった議員は、中道改革連合を離れる方向で調整に入りました。党を二つに分ける形をとるのか、離党という形をとるのか、そこはまだ固まっていません。大切なのは、ここから何をつくるかです。
◆二大政党制という幻想
私はかねて、政治学者の篠原一先生の連合政治の考え方を大事にしてきました。日本の政治は長い間、二つの大きな政党が政権を争う姿を理想としてきましたが、実際はいくつもの政党が並び立っています。そこで力を持つのは、考え方の近い勢力を結びつけ、政治を前に進める「かなめ」となる党です。中道改革連合が担うべきは、まさにこの役割です。私は、この路線が間違っていたとは思いません。
◆まずは、21人がまとまること
いま衆議院に残る立憲系の中道の議員は21人です。この先どう進むかは、一人ひとりに考えがあり、まだ同じ方向を向いてはいません。それぞれが有権者と交わした約束を背負っているのですから、当然のことです。立憲民主党の田名部幹事長は2日の会見で、個別の働きかけや受け入れは今の段階では考えていないと述べたうえで、どうすればみなが大きな力として結集できるかは考えている、とも語られました。一人ずつではなく、塊として向き合う。そのうえで、もう一度大きな力に結集する道を探る。私はそういう含みだと受け止めています。
◆衆議院で統一会派を
大事になるのが、中道を離れる公明系の28人と、衆議院で統一会派を組むことです。代表も統一会派をめざす方針を示しています。党が分かれても、話し合いで合意をつくる姿勢は分かち合えるはずです。会派を組む前に、ともに掲げる政策の柱を決めておくことです。国会法第56条は、法律案を出すには衆議院で20人の賛成が要ると定めています。予算を伴う法律案なら50人です。21人では、予算を伴う法律案は出せません。合わせて49人になれば、あと一歩のところまで来ます。数を集めること自体が目的でなく、約束を形にするためには結束は不可欠です。
◆参議院につながる道を残す
統一会派には、もう一つの意味があります。2028年の参議院選挙が近づけば、参議院の側から中道に加わる動きが出てくることも考えられます。参議院の比例代表では、産業別の労働組合が推す候補者が大きな比重を占めます。どの旗のもとで戦えば議席を守れるのか、その見極めに時間はかかっても、一つにまとまる道はまだ閉じてはいません。衆議院で会派をともにしておくことは、その日のための土台になります。大きな力として結集するという言葉も、この道につながっていくはずです。
◆政界再編の軸となる党に
これは生みの苦しみだと思っています。ひるむことなく、立ち止まることなく、中道の路線を確かなものにしていく。現実的な穏健保守として、暮らしを守り、平和を守る、その道筋です。いまは永田町の外におりますので、私にできるのは地元での活動だけです。それでも、みなさんの期待に応えられるよう全力を尽くしてまいります。中道を、政界再編の核となる党に育てていく。その行く末を、どうか見定めていただきたいと思います。
◆馬淵 錦之介(マブチ キンノスケ)
1995年2月28日生まれの31歳。苗字から想像していただける通り、馬淵 澄夫(まぶち すみお)の長男です。6人姉弟の4番目に生まれましたが、1男5女という姉弟構成のため長男という立場になります。
私はニュージャージー州オラデルというアメリカの東海岸に位置する町で生まれ、3歳の頃に奈良へに引越してきました。
奈良女子大学付属幼稚園→奈良女子大学付属小学校→奈良市立富雄中学校→奈良市立一条高等学校と幼稚園から高校までを奈良で過ごし、明治学院大学への進学を機に東京での生活を始めました。大学卒業後は東京の不動産ベンチャーに就職をし、2022年11月に父である馬淵澄夫の公設秘書として奈良に戻ってきました。
奈良での生活が始まったのが3歳ごろからだったこと、また、大学進学から約10年間は東京での生活だったこともあり、実は2022年に奈良に帰ってくるという選択をしていなければ、人生の半分の時間を奈良以外で過ごしていたということに若干驚いています。
しかし、奈良県で生まれ育ち、就職や起業などで社会とつながりを持っていく過程で同じような選択をしている方は多いと思います。特に大学進学の段階で大阪・京都、そして東京と、県外へ引越してしまい、そのまま4年過ごした地域で就職するパターンは事実、私の同世代でも大半を占めていました。
これは奈良県の就業構造や人口問題に深くかかわる問題です。今回は自己紹介を中心ですが、次回以降は奈良県や奈良市・生駒市など地域の課題についても取り上げていきたいと思います。
◆邊見 海佑(ヘンミ カイユウ)
2000年1月1日、私はカナダで生まれました。その後、父の仕事の都合でアメリカやメキシコなど海外を転々としましたが。私にとって日本は、毎年夏休みに帰る母の地元「生駒」でした。外から来る私をいつも温かく迎えてくれたこの街が大好きで、15歳の帰国を機に生駒高校へ進学。生駒への思いは特別なものになりました。
高校卒業後は同志社大学へ入学し、応援団の活動を通して人を裏から支える喜びに触れました。その思いの延長として、現在は馬淵澄夫事務所の生駒担当の秘書として生駒市谷田町に住まいしながら働いています。
秘書の仕事を通して、幼少期の長い海外生活の体験は日本の豊かさを見つめ直す良い機会となりました。アメリカの差別問題やメキシコの貧困などを身近で見て、政治は自分の暮らしや命に直結するものだと肌で感じ、日本の安全で豊かな日常は決して当たり前ではなく、先人たちが守り抜いてきたものです。私はこの環境を未来へ残したいと強く思うようになりました。
これからは生駒の道を歩き、北は高山から南は五ケ大字まで生駒市を隅々まで走りまわり、坂の上の一軒一軒まで皆さまの声を聞きにいきます。
私自身が行動し、私を育ててくれた生駒のために汗をかいて参ります。
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