2026/7/22
1.骨太方針2026の位置づけ
令和8年7月21日、「経済財政運営と改革の基本方針2026『責任ある積極財政』元年~日本の挑戦を起動する!~」が経済財政諮問会議の答申を経て閣議決定された。高市内閣として初めて策定した骨太方針であり、2025年版(石破政権下)が企業の賃上げや地方創生を前面に出していたのに対し、今回は官民連携投資・危機管理投資・成長投資の重点化という高市総理の路線に沿って内容が大きく組み替えられている。分量も骨太方針2025の51頁から35頁へと約7割に圧縮され、個別施策の総花的記載を抑えて内閣の考え方を絞り込む編集方針が取られた。
財政運営の中核目標も転換した。従来の基礎的財政収支(PB)黒字化目標は事実上後退し、「債務残高対GDP比の安定的低下」を中核に据える。単年度の赤字は許容し、経済規模そのものを拡大することで債務の相対的な重みを下げる、いわば「返す」から「薄める」への発想転換である。
2.評価しうる点
技術革新と生産性向上を投資で牽引するという方向性そのもの、補正予算依存からの脱却、複数年度で予見可能性を持たせる予算編成への転換は、長年「未来への投資不足」を指摘してきた立場からすれば評価に値する要素を含む。単年度主義・シーリング方式の硬直性が民間投資の呼び水を細らせてきた構造への問題意識は共有できる。
しかし、本方針の本質的な弱点は「何に投資するか」ではなく「どう管理し、どう検証し、誰が責任を負うか」というガバナンスの欠落にある。以下、構造的に整理する。
3.構造的な問題点
3.1 投資枠のガバナンス不在
柱となる「強く豊かな日本」投資枠は、AI・半導体・量子・防衛産業・創薬など17戦略分野・62の重点技術に対し、要求上限(シーリング)を設けず事項要求も含めて必要額を要求できる仕組みとし、複数年度にわたる予算措置を基本とする。内閣府試算では2040年度までの累計投資額は官民合わせて370兆円を超える。
企業経営であれば、上限のない投資枠を複数年度で確保するには、必ず回収計画(KPI・撤退基準・中間検証点)とセットで承認を取る。上限を外すこと自体は機動性の観点から合理的だが、それに見合う検証設計が示されなければ、単なる歳出の青天井化に堕する。立憲民主党・中道改革連合・公明党の三党政調会長談話(令和8年7月21日付)が的確に指摘する通り、17分野は総花的で焦点が定まらず採算性も不明であり、投資枠には概算要求の上限がなく歳出肥大化を助長しかねないと同時に、財源とする「つなぎ国債」の償還見通しが全く立っていない。成長戦略と財政持続可能性の両立という絵は「絵に描いた餅」に終わりかねない。現場から積み上げた投資ではなく、目標額が先にあって回収設計が追いついていない典型例である。
3.2 財源のブラックボックス化とPB目標の空洞化
債務残高対GDP比という目標自体は、成長を伴う財政運営の指標として理解できる。だが、目標年度が設定されておらず、何をもって達成とするかの基準が示されていない。加えて、毎年度10兆円規模の追加財政支出、食料品消費税ゼロ、防衛費のさらなる増額を掲げながら、それぞれの財源は明示されていない。目標に期限と検証指標がない計画は、経営の世界では「計画」とは呼ばない。単なる願望である。
3.3 防衛費増額と専守防衛の整合性
危機管理投資の対象分野には防衛産業も含まれる。専守防衛を絶対的基盤としつつ、国民の生活の安全保障が確保される前に防衛予算を倍増させることには、かねてより反対の立場を取ってきた。今回、防衛費の更なる増額が財源を示さないまま打ち出されている点は、まさにその懸念を裏付ける形になっている。危機管理投資という耳当たりの良い枠組みに紛れ込ませることで、防衛費の量的拡大が検証プロセスを経ずに進む構造になっていないか、国会審議において厳しく問われるべき論点である。
3.4 市場との対話破綻、「骨太ショック」
原案公表後、日銀の利上げを牽制したと市場に受け止められる文言が発端となり、10年物国債利回りは一時2.9%台、約30年ぶりの水準まで急騰した。政府は日銀法第3条の趣旨を注釈で盛り込み、「安定的な物価上昇の実現に資する適切な金融政策運営」へと表現を修正して収拾を図ったが、閣議決定後も債券市場では金利上昇圧力が続くとの見方が根強い。
私が繰り返し用いてきた「職業的自殺」という構図がここにも当てはまる。霞が関・永田町では、上司や政権の方針に異を唱えることが政治的・官僚的な自殺行為となる力学がある。日銀への牽制と受け取られかねない文言が、庁内の複数チェックを経てなお原案に残ったこと自体が、率直な意見具申が機能しなかった証左と言えよう。市場の信認は、後から言葉を修正すれば済むものではなく、最初の設計段階で現場感覚を反映できるガバナンスがあるか否かで決まる。
3.5 社会保障「負担率」目標の対症療法性
現役世代の保険料率について、上昇を止め引き下げていく方針が明記され、2027年度の社会保障負担率を2025年度比で上昇させない目標が脚注で示された。引き下げの経路としては、医療・介護費用の削減や自己負担割合の引き上げが中心に据えられている。
これは「負担率」という指標を下げることには寄与するが、第3号被保険者制度や雇用形態による加入の非対称性といった制度設計そのものの歪みには踏み込んでいない。負担率を分子(保険料)側の圧縮だけで動かそうとすれば、給付の削減か公費への付け替えのいずれかに帰着し、問題の先送りに終わる可能性が高い。制度の入口設計を変えずに出口の数字だけを調整する、典型的な対症療法である。
3.6 エネルギー安全保障の後退した扱い
「次世代エネルギー」は17戦略分野の一つとして成長投資の対象に位置付けられているが、これはあくまで産業競争力・経済安全保障の文脈であり、ホルムズ海峡経由のナフサ・原油依存という構造的脆弱性への対応という安全保障の文脈からは扱いが後退している。エネルギーを「育てる産業」としてのみ語り、「守るべき供給網」として語らない骨太方針は、片翼飛行だと言わざるを得ない。
4.三党合同談話との接続
中道改革連合は令和8年7月21日、立憲民主党・公明党と連名で政調会長談話(立憲民主党政務調査会長・徳永エリ、中道改革連合政務調査会長・岡本三成、公明党政務調査会長・秋野公造)を発出し、17分野の総花性、投資枠の歳出肥大化リスク、つなぎ国債の償還不透明性、PB目標の空洞化、防衛費増額の財源不在、日銀への不当な牽制、最低賃金1,500円目標の先送り、東日本大震災避難者への配慮不足、基幹的農業従事者の100万人割れへの具体策不足、副首都整備の法案未成立での明記などを列挙して批判した。
これは単なる批判の羅列ではなく、篠原一先生の連合政治論が言う「イデオロギー的近接性」を軸にした三党連携の実践例と位置づけられる。中道改革連合が「かなめ党」として立憲・公明双方と足並みを揃えられたのは、争点が理念対立ではなく検証可能性・財源の明示という経営管理の土俵に絞られていたためであろう。
5.総括
骨太方針2026は、「投資不足」という現状診断は正しい。しかし国家経営という視点に立てば、投資額の大きさそのものよりも、回収設計・検証時点・撤退基準という管理会計の三点セットが欠けていることが最大の欠陥である。370兆円という数字の大きさに国民の目を向けさせながら、財源・目標年度・防衛費との切り分けという「誰が、いつ、どう責任を取るか」の部分が空白のまま閣議決定された。市場はすでに長期金利の急騰という形で不信任のシグナルを発しており、8月上旬に結論を予定する食料品消費税減税の行方と合わせて、今後の予算編成過程でこの空白がどう埋められるかが問われる局面である。
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