
2026年8月10日公開の「選挙ドットコムちゃんねる」では、無所属の望月良男参院議員をゲストにお迎え!大物政治家たちがしのぎを削る「紀州戦争」の異名をとる和歌山県で、無所属で戦ってきた望月氏の選挙戦略を選挙芸人・山本期日前氏が深掘りインタビュー!
MC期日前氏:その後、有田市長に初当選された時の有田市長選挙が、自民党などが応援している現職を倒しての当選だったんですよね。参院選でも自民を倒して、という感じなんですけれども、そもそも市長選挙で、しかも二階(俊博)さんの選挙区で自民党の現職を倒して勝たれていた。正直、「行ける」という手応えはあったんですか?
望月氏:いやいや全然です。もう(頭を下げながら)「すみません」「すみません」という感じでした。当時36歳で、政治経験は市議5年で、政治家とは縁の遠い家庭で生まれましたし、そこらへんの石ころか雑草みたいな人間ですので。ただ、市議になって5年間、有田市はもう財政が転落しそうになっていて、職員の給与をカットしたり、とにかく補助金などもカットカットで縮小していって。昭和の時代はミカンや漁業も盛んでしたし、ENEOSに合併する前の「東燃」という石油会社のオイルマネーですごく豊かな街だったんですね。ところが、そういったこともだんだん持続しなくなって、広げた行政サービスという風呂敷みたいなものをしめていくのは難しいじゃないですか。

それで財政難に陥っていって硬直化して、学校が小中合わせて11校あったんですけど、ほぼ劣悪な環境で学力も低くなっていって。そんな中で私は市議会議員として「とにかく財政健全化は難しいけれど、教育だけはなんとかしませんか」と、学校の子どもたちの環境を整えようと本当に必死になって政治活動をしていたんですね。やっぱりそういうことって難しいんですよ。ただ、現職に対する不満などもありました。私みたいな者は、おっしゃられるように二階先生とすごく懇意で現職3期目の立派な方に対して、「そういう立派さよりも、とにかくガムシャラに未来に向けてお金がなくてもやれることを一つずつやっていく、そういう行政にしませんか」という論陣を張っていたんですよ。それをやるために「じゃあお前、飛び出せよ」と仲間から言われて。でも、周りの有力者からは「絶対に負けるよ」「あなたには期待しているんだから、ちょっと待ちなさい」というように結構言われました。
MC期日前氏:一回、ここで消費するポイントじゃないと。
望月氏:そう。「あなたは将来まちのために頑張れる方だから、今そんなことをするな」と止められました。
MC期日前氏:負ける前提で「やめなさい」と言われていたんですね。開票日に、メディアは全部現職の方の陣営に行っていましたよね。
望月氏:最初に記者会見をした時も、記者からも泡沫的な扱いを受けているなと分かりました。「何くそ、私は絶対学校をなんとかしてみせる」と思ってスタートしました。まずは、うちの家内が大反対でしたので。
MC期日前氏:その時も家族会議みたいなところで、どうやって説得するかを戦略的にやられたんですか?
望月氏:やりました。もう父も母も姉も兄も、みんな反対なんですよ。私の4月の誕生日に「誕生パーティーをするから」と言ってみんな自宅に来たんです。そしたら家内が根回しをしていて、「今日は誕生会と称して、良男を思いとどまらせる会にしよう」と(笑)。
MC期日前氏:市長選に出ないように奥さんが根回しして、全員で反対の論陣を張っていたのですね。
望月氏:「まずお母さんちょっと言ってよ」とか言って、1人ずつ回すわけですよ。そしたら母親も泣きながら「怖いことやめて」と言って、お父さんも「やめておけ」と言って。こういう会議が最初ずっと続いて、みんなの話を聞いていました。それを見ていたら「父親だけ説得したら大体いけるな」と自分でも分かりました。
MC期日前氏:ここが大事だと。
望月氏:それで、父親に「有田市は今お金もないし大変だと思うけど、今の有田が良いと思う?」と聞いたら、「良くないな、希望もあんまりないな」と父親も言うわけですよ。「じゃあやっぱり誰かが市長に手を挙げてほしいよね」「そうだな」「じゃあ僕が行くって言ったらなんでダメなの?」と言ったら、「お前じゃなくて良い」「まだ早い、お前は」と。
最後はちょっと情に訴えたんです。息子が自分のためではなくまちのために、議員としてまだ36歳で5年しかやっていないけれど、噴起して世の中のためにやろうと腹を括って一歩出ようとしていることを「父親としたら息子のことを誇りに思ってくれよ」と。「家族に応援してもらえなかったらダメだ」という話をしたら、父親が「よし、行くぞ!」となって。
MC期日前氏:情にやられてしまったんですね(笑)。
望月氏:そうそう。そしたら今度は家内が「お義父さん何やってるの!」という感じでした。
MC期日前氏:参院選のときも、無所属で出られる時は、二階さんの応援も自民候補についていて、両親だったり周りはどういう反応だったんですか?
望月氏:父はもう他界しているんですけど、まず家内は大反対でした。
MC期日前氏:そこも反対だったんですね。
望月氏:そもそも4期16年で、一昨年に市長を退任した時は、国政を目指して退任したというのは全くなくて、市長という自分の中のマイルストーンの中で、4期16年というのはすごかったです。「自分自身もすり減ったな」とか、「こんなことまで仕事ができたのは育てていただいたおかげだな」という感じでした。16年間も市民の皆さんに不完全な市長を育てていただきながら、「私は成長することをやめません」というようなことをいつも宣言していたような市長像でしたので、一旦ここで線を引きますということで、後のことは何も決まっていなくても辞めることだけが決まっていたんですね。
ですから、政治から少し身を遠ざけるというのはかなり大賛成で、「あなたなら何でもできるから違う生き方をしようよ」と言われていたんですよね。
MC期日前氏:そしたらまた大きな火のところに飛び込んでいって、最後は理解してくれたという感じですか?
望月氏:36歳で市長になったり若い時に政治を志して活動している頃は、国会議員ということが頭をよぎったこともあったんですけど、その時は全然なかったんですね。だから違うことをしようと思っていましたが、和歌山の政治の動きがたまたまそういうところに重なったタイミングでした。
MC期日前氏:二階さん対世耕(弘成)さんという文脈もある中で。
望月氏:和歌山は参議院1人区で1人ずつとか、自分がやりたいと言ってやれるようなチャンスがあるようなところではありません。そういうこともないなと思ってたんですけど、ご案内の通り、世耕先生が無所属で(衆院選に)立候補されて、私が辞めてから2024年10月に総選挙がありましたよね。二階先生のご子息と自民党と保守分裂と言われた選挙戦になりました。ちょうどその頃に「参議院の方を考えてよ」という声をたくさんの方からいただき始めました。
MC期日前氏:2024年の衆院選の和歌山2区で二階伸康さんと世耕さんの対決があって、その流れで「じゃあ次の参院選はどうなんだ」と色んな方から要望があったのですね。

望月氏:そうですね、そこらへんからです。最初の頃は私も家内も反対でしたし、私自身そう思って辞めたわけじゃないです。ただ、世耕先生のそれまでの政治活動と関係性から、和歌山県内にもそういう待望論があったわけですよ。それで大変お世話になったこともあったので、その衆院選では私は市長を終わって1~2カ月の間で選対本部長を務めて世耕先生を応援しました。
MC期日前氏:その流れの中で参院選を迎えることになって、「どっちが公認候補になるんだ」というところがあったりして。言えない部分もあると思いますが、そのあたりの時に二階伸康さんも手を挙げられたのはどのように思われていたんですか?
望月氏:最初にお声がけいただいた時は、「望月さん、無所属で夏の参議院選に出てほしい」という声をたくさんいただくようになりました。「いやいや私なんて」と思っていたんですけど、36歳から52歳まで医療や教育、産婦人科の問題、財政やふるさと納税など、みんなが困っていることに取り組んできたのを知ってくれている方々から、「経験が宝物だから、有田でやったことを和歌山全体や国の制度設計に活かしてほしい」という声をいただくようになりました。それで「無所属で出てほしい」と言われて、最初はお断りしていたんですけど、私のような者でもそういったチャンスやチャレンジをしていいのかどうか考えるようになってきて。当然、世耕先生ともお話をしながら、最初は前向きになってきたときは「無所属で」という思いだったんですよ。
ただ、世耕先生と伸康さんの戦いや保守分裂という空気感に対する「嫌気」「もうそんなのはダメよ」というお声も事実でした。もし自民党の公認にまだ誰も決まっていないのであれば、最初からまた喧嘩をする前提で「無所属で出ます」と手を挙げるより、頭を下げて「なんとか選んでいただける可能性はあるでしょうか」という感じでした。
MC期日前氏:なるほど。無所属で出ると喧嘩(紀州戦争)になるけれど、望月さんが自民党で公認になればそれが勃発しないわけですからね。
望月氏:そうです。私も自民党員でした。市長の最後の方は特別党員として推薦をいただいていたりしていましたので。
MC期日前氏:有田市長時代の実績などを知ってくれている和歌山県内の方もいるから選ばれる可能性もあるということで応募したわけですね。
望月氏:そうです。「推薦人を集めたらいいよ」とおっしゃっていただいて、10人集めました。色んな方にお聞きしていると、二階先生のご子息は参議院には出られないと思っていたんですよ。面接などで自分のような者を選んでいただけないか、という感じでした。(中略)
MC期日前氏:今いろいろな状況もあって無所属で活動されているわけですが、今の参議院は先の法案も2票差でしたし、相当スレスレの中で毎回無所属の議員がどちらに入れるかで国の命運が変わってくるため、かなり注目されている状況だと思うのですが、実際、賛成してくれといった働きかけなどはすごい来られる形なんですか?
望月氏:その時のケースや事象によりますけど、まず申し上げたように選考で負けて自民党県連から除名になった経緯もありましたし、二階先生のご子息と保守分裂と言われながらも民主主義の実践の場である選挙で判断を仰ぐ形で飛び出しました。勝たせていただいたというのは、期待いただいた分ものすごい責任が重いなと思っているんですね。
その重い責任を持って1年が経過して、初めてのことばかりでした。その中で参議院では与党で過半数にいっていないので、ケースによっては「とにかく賛成してほしい」と何度も説明に来てくださいます。副首都法案の時もそうでしたね。
MC期日前氏:例えば副首都法案の時、チームみらいさんが2議席持たれていて、賛成する条件としてデジタルの文言を入れるような条件があったりしましたけれど、今回の法案などで望月さんが条件をつけたり、あるいは賛成した理由というのはどういったところがあるんですか?
望月氏:条件闘争なんかができるような立場でもありませんし、キャスティングボートを握っているとも思っていません。ただ、後から見ると「私の一票が結構大きかったな」ということになるのだなと責任の重さを感じています。市長の時もそうだったんですけど、迷うことも多いですし、簡単な判断なんて少ないです。法案の中身もそうですし、迷っても「未来を見据えて、未来から見たら今どちらの判断をするのが良いんだろう」という判断軸で考えていました。
国政に来ると全然性質が違う政治というか、外交や安全保障も相まってきますし、一つの物事を進めるにあたって数の論理がしっかり影響してきますので今までのようにはいきません。ただ、副首都法案については責任が重くなりそうな予感はしていましたので、一生懸命法律を勉強して、説明に来てくださった方に「ここはどうなんですか」とお話しさせていただいたりしました。すんなり賛成とは思わなかったです。実は、「これは反対すべきだ」という声も野党サイドや県民、支援者の皆さんからたくさんいただきました。一方で「高市政権が大きく政治を進めている中で賛成すべきだ」という声もあり、迷いました。
MC期日前氏:あらゆる立場から賛成派も反対派も働きかけがあって、その中で最終的に副首都法案は賛成に回られたということですね。よく言われるのは「自民党に戻りたいんじゃないか」という声もありますが、実際ご自身としてはどのように思われているんですか?
望月氏:置かれた立場というか、昨年選挙が終わった後も「これからどうするんですか」と聞かれました。自分がやりたいのは、和歌山のような地方が経済的にも活発化して豊かになり、財源をつかんで、自然豊かなところで時代に合った教育をしなくてはいけないし、難しい医療や子育て、人口減少の問題もあります。順番でいくと、まず人口減少時代でも高市政権が言っている17分野の成長投資で和歌山に合ったものをどれだけ呼び込んでいけるかということが私の公約であり、約束です。これらの政策を実現していくために「どういう立場でやるのが一番良いのか」を考えてやっていきますというお話をしていて、そこは今も変わりません。

ただ、高市政権が発足して世耕先生の動きも復党願を出されたり、微妙な時期ではありますけれど、私はブレずに約束したことを実現するためにどんな立場を目指すべきかを考えています。「会派に入れてほしい」と思ったところですぐに入れる世界でもないですし、無所属にはメリットもデメリットもあります。無所属ならではの良いところもあれば、限界を感じるところもあります。
MC期日前氏:自民党の和歌山県連からの除名があり意向などもあるとは思うのですが、実際に会派へのお誘いなどはあったりするんですか?野党サイドからのお誘いなどもあったりするんですか?
望月氏:うーん……
MC期日前氏:皆さん、(望月氏の)表情で色々推察していただければと思います(笑)
望月氏:まあ、今の立場は無所属でフラットです。基本的にはお約束したことを実現するために何ができるかということで、割と忙しく、一生懸命やってます。
この詳細は、ぜひ動画本編でご確認ください!
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