
4月25日公開の「選挙ドットコムちゃんねる」では、産経新聞那覇支局長・大竹直樹記者にMCの政治ジャーナリスト・今野忍氏が、3月に発生した辺野古沖転覆事故について徹底インタビュー。那覇支局でたった一人の記者として現場を歩き続ける大竹氏が取材によって事故の全容を突き止めるまでの状況を伺います。
MC今野記者:今回の事故の発生というのは、どのように把握されて、取材が始まったんですかね。
大竹記者:私のスマホには、支局に届くFAXや、県や県警、海上保安本部などから記者などに届く発表メールが全部転送されてくるようになっていて。記憶では11時過ぎくらいに、第1報が第11管区海上保安本部から入りました。そのとき1日100通くらいメールが来るので、いつもパッと開いて一瞥して、ほとんど必要のないものはそのままで仕事に戻るんですけど、この時は船の名前に見覚えがあったので「これは大変だ」と思ったんです。

MC今野記者:船の名前。
大竹記者:ええ、誤記もあったんですが、当該船の名前が「平和丸」と「不屈」です。それを見て「抗議船だ」とピンときて。すぐに11管に電話をしました。
MC今野記者:抗議船が転覆という形の一報だったわけですね。
大竹記者:最初転覆という文字が使われていたかは…。
MC今野記者:まあでも事故に遭っているという。
大竹記者:その時は普通に抗議活動中の事故だと思いました。
MC今野記者:そう思いますよね、抗議船ですから。まさか修学旅行の子供たちを乗せているとは夢にも思わないわけですもんね。
大竹記者:初動の反省なんですけど、私は1人しかいませんので、どう動くか常に考えるんですけど、当然事故が起きれば、まず現場に直行するのが筋だと。普段車も持っていましたので。ただ当時、3月も4月も幹事社という、何か知事とかが取材のときに幹事質問しなくてはならない立場でもありました。
MC今野記者:各社に連絡もしなきゃいけない立場ですからね。
大竹記者:知事も午後1時過ぎに対応するという話もあったので、じゃあ一応、それを見てから、取材をしてから現場に行こうと。その途中である警察関係者から「実は乗っていたのは抗議者ではない」という話が入って。その時点で知事のぶら下がり取材に行かず、今すぐにでも現地に行こうかと逡巡したんですけど、沖合でのシーンを撮るのは難しいだろうから、知事のぶら下がり取材を終えてすぐ、車で辺野古へ向かいました。

MC今野記者:大竹さんが産経新聞でまとめてくださった転覆事故当日の動きを整理すると、3月16日の9時48分頃に、2隻を11管のゴムボートが確認し、拡声器で注意を促すと。ただその注意は聞き置いたという形で、そのまま転覆する場所に2隻が向かい、10時10分頃に「不屈」がまず転覆し、その2分後に「平和丸」が転覆。その様子は11管のゴムボートから一応目視では確認されていたわけですね。10時20分頃、 11管がリーフの際に押し寄せる波を避けながら、現場になんとか到着して、10時24分から10時38分にかけて、計20人が救助されると。10時46分頃、平和丸の船体の下で、女子生徒さんが発見される。転覆から30分以上もかかっているんですよね。
大竹記者:そうですね。記事にも書きましたが、引率の教員が同乗していなかったことが、行方不明に気づくのが遅れたことは否めない。当時、平和丸の船長は浅瀬で係留ロープをずっと握っていただけだったと聞いておりますので、およそ自分の船の下に生徒が取り残されていることを知らないような振る舞いですよね。
MC今野記者:大竹記者の記事だけ読んでも詳細がわからなかったのですが、亡くなられた金井牧師が乗っていたのが「不屈」ですよね。
大竹記者:それを救助しに「平和丸」が近づいて行って、「平和丸」も転覆する。
MC今野記者:その「平和丸」の船長はもちろん生きていらっしゃって、船長はその船の責任者ですから、全部把握しないといけないですよね、点呼なり取って。この係留ロープっていうのはどういう意味なんですか。船同士を繋いでいたんですか。
大竹記者:いやいや、波で流されないようにしていただけだと思います。元々船についているロープで、それを船長は握っていただけだという関係者の証言がありました。
MC今野記者:ひょっとしたら、生徒が船の下に残されていたことを分かっていなかった可能性があるってことですかね。
大竹記者:まあ、状況としては認識していなかった可能性が高い。
MC今野記者:乗客名簿もないわけだし、状況として把握できないわけですよね。

MC今野記者: 今回、生徒たちを船に乗せた「ヘリ基地反対協議会」とは、現地ではどういった位置づけの団体なんですか?
大竹記者: 現地での評価を一言で言うのは難しいですが、非常に歴史のある団体です。結成から約30年が経っており、今皆さんがよく耳にする「オール沖縄会議」よりもはるかに長い歴史を持っています。元々は、名護市のキャンプ・シュワブにヘリパッドを建設することに異を唱えて結成されました。産経新聞の取材に対し、現在の社民党や沖縄社会大衆党は「構成団体ではない」としていますが、当時の資料を見る限りではその政党と日本共産党や自治労などの団体が集まって結成された経緯があります。
当初は「推進協議会」という名称でしたが、途中で現在の「ヘリ基地反対協議会」へと衣替えしました。その後、名護市で行われた市民投票(1997年)で反対票が約54%を占めたことで彼らは勝利宣言をし、「自分たちの運動で民意を示した」と。それが現在の「オール沖縄会議」にも繋がっていく、運動の「源流」と言っていいくらい歴史は長いです。
MC今野記者: 辺野古の移設問題がクローズアップされたのは1996年の普天間返還の合意からですが、彼らはそれ以前のヘリパッド計画の時から活動していた。だから「ヘリ基地反対協議会」という名前なんですね。オール沖縄よりもはるかに古いですね。
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