選挙ドットコムでは、乙武洋匡氏をMCに迎え選挙や政治の情報をわかりやすくお伝えするYouTube番組「選挙ドットコムちゃんねる」を毎週更新中です。
今回は2021年6月10日に公開された対談の様子をご紹介。ゲストは日本維新の会・足立康史議員です。足立議員の素顔や政治家を志した経緯について伺いました。
対談の冒頭で乙武氏は、「今日は戦々恐々としている。足立さんとは初対談だし怖い人というイメージがある」と話します。
足立議員は、「小選挙区ではエッジを立てれば立てるほど落選するから、今はその怖い人というイメージを必死に払拭している。本当は良い人なんだけど、当時のイメージが消えない。今日は本当の私を知ってもらいたいと思う」と話し、会場の笑いを誘いました。
この日はどのような対談になるのでしょうか。最初の話題は、政治家になるまでの足立議員について。
乙武氏は、「経歴を見ると工学部卒と書かれてある。何を学ばれていたのですか?」と尋ねます。足立議員は、「都市工学です。学生時代、テクノポリス構想(高度技術集積都市を実現するための計画)があり、当時の通産省と建設省が一緒に都市開発をしようとしていた。大学時代の友人は多くが運輸省や建設省に進むなか、当時から変わり者だった私だけが通産省に入った」と話しました。
続けて乙武氏は、「都市工学にはどのようなキッカケで興味を持たれたのですか?」と尋ねます。足立議員は、「父親からの影響があり工学部に進んだ。手に職を付けていく道もあれば役所に進む道もある。私はそれを飛び越え、通産省に入ってよりソフトなことがやりたかった」と話しました。
官僚時代が21年あったという足立議員。経済産業省商務情報政策局参事官も務められていたそうです。
足立議員は、「役所には技術系もいて、通産省だと半分は技術系だった。当時は技術系・事務系関わりなく便宜使いされ、私も21年間で10局まわった。いわゆるジェネラリストとして、事務系同様に色んなことをさせて頂き見聞が広まった。その頃、民主党政権になり、民主党の親分たちが(役所に)来た。『この方々と一緒に仕事をするのは嫌だ』と思い、東日本大震災を機に官僚を辞めた」と話しました。
乙武氏は、「政治家になることを目指して辞めたのですか?」と尋ねます。足立議員は、「役所にいた頃から政治には関心があり、“官“と“政“では政のほうが力が強まっていた時代だった。『いずれは(政治家になりたい)』という思いがあった」と話しました。
続けて乙武氏は、「何年目ぐらいから政治家になりたいと考えていたのですか?」と尋ねます。足立議員は、「10年目ぐらいです。でも、普通の人は辞められない。(官僚は)安定しているし給料も毎月入ってくる。私の背中を押したのは『民主党の大臣に仕えるぐらいなら自分が大臣をやりたい』という思いだった。それと、経産省は原発も担当しており、福島第一原子力発電所事故は私に重くのしかかってきた。『根本的な行政の仕組みを変えなければならない』という思いがあった」と話しました。
乙武氏は、「首長になる方は総務省出身者が多く、国会議員には経産省出身者が多い。風土の違いみたいなものはあるのですか?」と尋ねます。
足立議員は、「経産省は“個人技“で、予算も少なく“組織力“ではない。個人技で役所全体も動いているから、『自分の力でやってみたい』という気持ちになる。それに対して、総務省や財務省は“組織“で仕事をやってきた人たち。国会議員になっても、総務省や財務省の出身者には野党議員ですら省がケアし続けている。彼らは役所のつながりが消えない。一方で、自由な風土の経産省は国会議員になる人も多いし、今は総務省と競り合うぐらい知事になる人も多い」と話しました。
乙武氏は、「政治家になってみて全然違ったなと思うことはありますか?」と尋ねます。足立議員は、「官僚時代は政治のど真ん中に足を踏み入れるほど偉くはなかった。政治の世界に入ってみると『思った以上に茶番劇が厄介だな』と感じ、思った以上に与党と野党は友達だった」と話しました。
これまで懲罰動議が6回出たという足立議員。これは故:楢崎弥之助議員に並んで憲政史上最も多い数なのだそうです。
足立議員は、「楢崎議員は30年かけて6回だった。私は3年で6回だから10倍のスピードで懲罰動議が積み重なった。与野党はシナリオを書いており、国会はお芝居だ。私はシナリオに書かれていないことをやる。私より無茶苦茶なことをやる議員は沢山いるが、懲罰動議が出ないのはシナリオ通りだから。私が少し本当のことを話すと懲罰動議が出る」と話しました。
足立議員が、「マスコミからも乱暴な人というイメージがついているが、本当の私は上品で……」と口にすると、会場には一瞬の静けさが漂った後、笑い声が飛び交いました。
続けて足立議員は、「私は穏やで、どちらかと言うと引きこもり系なんです」と明かしました。
乙武氏は、「お休みの日は何をされているのですか?」と尋ねます。
足立議員は、「冬は布団にくるまって1人で考え事をしています。読書や映画など、1人でいる時間が必要な人なんです」と答えました。幼少期の足立議員は、どのようなお子さんだったのでしょうか。
足立議員は、「一卵性双生児だから感受性が豊かだった。一卵性双生児は母と子以上に結び付きが強く、ずっと共存関係で育ってきた。性格も似ていて、たまにどちらが自分か分からなくなる。結婚した時に奥さんを取り間違えたりした」と話し、会場の笑いを誘いました。
乙武氏が、「足立さんの話は、どこまでが本当でどこからがジョークなのか分からない」と伝えると、「2012年の初当選以降、こんなプライベートなことを聞かれたのは初めてです」と足立議員も答え、この日は終始和やかな雰囲気での対談となりました。
1965年大阪府生まれ。京都大学大学院工学研究科修了後、通商産業省(当時)入省。1988年、米国コロンビア大学国際公共政策大学院修士課程修了。その後、経済産業省商務情報政策局参事官、日本貿易振興機構ブリュッセル・センター所長などを歴任。2011年、東日本大震災を機に退官。退官後はみんなの党に入党するも、大阪維新の会との連携が困難になったことで離党、日本維新の会の結党に参加した。2012年衆議院議員総選挙で初当選。以後再選を重ね現在3期目。日本維新の会国会議員団幹事長代理、同大阪府第9選挙区支部長を務める。
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