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本物の坂本龍馬は森喜朗そっくりだった~なぜ龍馬は愛され元首相は嫌われるのか(歴史家・評論家 八幡和郎)

2021/2/17

八幡 和郎

八幡 和郎

坂本竜馬(1835 – 1867)国立国会図書館/Wikipediaより

東京五輪組織委員会会長の森喜朗元首相が、女性蔑視発言で辞職に追い込まれた。発言が報じられたときから、これは、辞職は避けがたいと思ったが、同時に後任選びがは難航するだろうと思った。

なぜなら森氏と個人的に付き合いがなくとも、その仕事ぶりや人柄を知っておれば、その後任となって好評を得ることは相当に困難なことは分かっているからである。一言で言えば、規格外だが、なかなか真似ができない貴重な根回しの達人だし、人格においてもかけがいのない美点が多い人物である。

古い保守的な日本的社会を代表する人などと言っている人も多いが、そういう人こそ、いまや死滅しつつある偽善的な戦後知識人であろう。その証拠に、森元首相への高い評価は、とくに外交面において顕著なのである。

それでは、森元首相はどんな人かということだが、私は「実在の坂本龍馬は森喜朗さんそっくり」といってきた。司馬遼太郎の「龍馬が行く」では、かっこいいスーパー・ヒーローだし、ドラマでは二枚目役者が演じることが多いが、実在の龍馬はぜんぜんイメージが違う。

私は、かつて、「坂本龍馬 私の履歴書」(SB新書電子版)という本を書いたことがあるし、いま、それを元に、電子メディア「アゴラ」に新聞小説風の連載をしている。これは、日経新聞の連載のようなスタイルで、あの世の龍馬が一生を振り返るというもので、いっさいの創作は加えていない。分からないところは、「記憶がはっきりしない」とか「あまりいいたくない」とか書いて断定していない。

詳しくは、そちらを読んで頂くといいのだが、ここでは、少しさわりを書いておこう。

まず、実在の龍馬については、こんな人だと書いてある。

「私は志士たちの中では、難しいことをいわずに、みんなで協力して仲良くやろうやと軽やかに動き回るのが取り柄で、激烈な改革のシンボルにされるような人間ではおよそない。私が優れた思想家だとか、クリーンな人間などと思われても困る。なにしろ勉強が苦手で、難しい本を読むのはあまりせず、インテリ揃いの志士たちのなかでは例外的な存在だった。

お金についても、私の職業は現代でいうフィクサーである。正式の給料はほとんどもらったことがないし、純粋な商業取引もあまりしたことがないから、いささか怪しげな形でマージンをとったり、いまでいう裏金に手を染めたこともある。

ルックスから言っても私はそんな格好良いわけではなかった。身長は六尺(180センチ)足らずあったが、体重も80キロほどあって、一言で言えば押し出しの良い体育会系の体型だ。それに髪の毛が薄くて、しかも、天然パーマだ。長崎で撮った有名な写真では眼を細めて遠くを見つめていかにも気宇壮大そうだが、あれは、ひどい近視のせいだ。顔には眉間など何カ所にもホクロがあり、背中には毛が濃く生えていた。

声は低音でゆったりと話し、国事については熱っぽく話したが、それ以外は寡黙だった。挨拶などあまりせず、人の家で寝転がったり、庭で立小便するなど傍若無人で行儀は悪かったと」

経歴からいっても、田舎の名士でそこそこ資産家の息子で、学問は苦手なので、剣術修行で江戸に出て (いまで言えば体育会枠で私大入学)、政治家 (勝海舟)の秘書になり、宴会では女性たちをからかったりして盛り上げ上手で(安倍晋太郎から宴席持ちのいい男として評価された)、行儀の悪い発言も多いが憎めず周旋の才があり(誰かそっくりだ)、子どものあしらいなども上手だったし(文部大臣のとき学校訪問などすると子どもたちに人気があった)、グラバーなど外国人とも堂々と交渉した (森元首相はアフリカなどの首脳との付き合い方が実にうまい)。

森喜朗元首相(首相官邸ホームページより)

私の数少ない直接にお願い事をした経験でも、全面的に賛同はいただけなかったが、暖かく思いやりのある言葉と気の利いたアドバイスで、「会って良かった」と思わせる達人だと思った。また、桝添要一、川勝平太、嘉田由紀子といった意外な知事経験者が、発言は批判しつつ、人柄について好意的論評をしているのは、頼まれたことに、言葉以上に、汗をかいて努力する人だからだ。

こうした人物評は、それなりに元首相を知る人や観察眼のある人にとっては、異議がないものと思う。小池百合子知事は、小泉内閣での防衛相就任のときに、「そういう異例の抜擢は、辞退したほうが長期的には得だ」と言ったので恨んでいるという説もあるし、鈴木大地氏が千葉県知事に立候補しようとしたときも、「傷がつくからよせ」と言ったが、どちらも悪意からのアドバイスではあるまい。

女性理事の問題については、私なりに翻訳すれば、「日本の理事会は、関係者が集まって合意形成の確認をするところだ。意見があるなら、事前に根回し段階でそれを言い、また、どうしても、その場でも言いたいなら、簡潔に済ますべきだ。ところが、女性理事を増やせということで有名人など無理して入れると、アリバイづくりに場違いな発言を長々やるので困ったものだ」ということなのだろう。

これは、「理事会というのが仲間内の追認のためのものでいいのか」というそもそもの問題もあるし、女性かどうかと関係なく、どういうタイプの人を選ぶかの問題なのだから、女性批判のようにとられかねない言い方はおかしいのである。

と思う一方、東京五輪をするにしても、延期・縮小・中止するにせよ生じる厄介な問題がありそうなときに、周旋の名人を失うことは、誰にとってもいいことなどない。そういう意味では、なんとか、上手に謝って辞めなくていいようにする根回し役がいなかったのは残念だ。

そして、辞めさせて喜ぶのは、東京五輪を中止に追いこんで、自分の政治的立場をよくしたいとか、日本の評判を悪くしたいと思う人だけだ。それこそ、龍馬が長州と戦って損んだ外国艦船を幕府が修理したと聞いて、「同じ日本人として悔しい」ので許せず、「日本を一度洗濯したく」と糾弾した対象と同じような卑しき人々だ。

ところで、龍馬と森喜朗はとても似ているのに、なぜ、龍馬は愛され、森喜朗は嫌われるかだが、これは、司馬遼太郎さんたちの創作のせいでもあるが、もうひとつ、県民性もあるだろう。

土佐の乱暴だが、威勢がよく明るいキャラクターや芝居がかった言葉の好感度は高い。それに対して、石川には加賀百万石の権威主義、自分の言いたいことをあっけらかんと主張できない雪国チックな暗さがある。

だから、明治維新のときも、あからさまな逡巡ののち、官軍についたが、薩長土肥や福井のように勝ち組としては扱われず、かといって、会津や越後のように、あからさまに不満を口にして慰撫策を上手に引き出したわけでもなく、新幹線も帝国大学も来ず、冷遇されたのが、加賀の悲劇であり、森喜朗はその加賀の歴史をいかにも引きずっている。

田中角栄が優先順位が低そうな上越新幹線を手に入れ、岩手県が仙台止まりが順当な東北新幹線を最初から盛岡まで手に入れてもお手盛りといわれなかったのに、森首相が在任中にとなりの富山まで新幹線を伸ばすのを決めただけでも非難囂々だったのである。

そのあたりの事情は「日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎 ( 光文社知恵の森文庫)や「歴代総理の通信簿」(PHP文庫)などでも解説してきた。

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八幡 和郎

八幡 和郎

評論家、歴史家、徳島文理大学教授 滋賀県大津市出身。東京大学法学部を経て1975年通商産業省入省。入省後官費留学生としてフランス国立行政学院(ENA)留学。通産省大臣官房法令審査委員、通商政策局北西アジア課長、官房情報管理課長などを歴任し、1997年退官。2004年より徳島文理大学大学院教授。著書に『歴代総理の通信簿』(PHP文庫)『地方維新vs.土着権力 〈47都道府県〉政治地図』(文春新書)『吉田松陰名言集 思えば得るあり学べば為すあり』(宝島SUGOI文庫)など多数。

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