北海道5区の選挙情勢が、熊本地震によって変わった。それまで勢いのあった野党陣営が、横一線のところまで来ていたのにここに来て伸び悩んでいるようだ。政治の空気は時として瞬時にかつ微妙に変化することをあらためて実感した。
野党候補が個人的な生い立ちを主張し過ぎることに有権者が飽きて来たとか、市民運動を際立たせようとすることが戦術的に成功しているのかどうか、そうした陣営の思惑も、マスコミの報道によって有権者に透けて見えるから気をつけなくてはならないのだが、安倍政権を攻撃してやまない夕刊紙などを見ていると野党優勢のように記されて来たし、確かに前半戦は功を奏していたと言える。
しかし、熊本地震が連鎖的に続くに従って、有権者の反応が微妙に変化し、地元北海道新聞でも先週は野党候補が追い抜いたと報道していたのに、週が変わると与党候補のリードに内容が変わった。終盤戦に至っては野党陣営に手詰まり感とまで書いているのだが、こうした予想記事がいいことなのかどうか疑問に思えてならない。
政治は一寸先が闇だとよく言われるが、確かに安倍政権にとって一連の甘利元大臣の失脚や、一二年生議員の様々な醜聞など予期せぬことが続いており、まして中東情勢の変化や中国経済の失速によって、肝心のアベノミクスが明らかに陰りを生じていることは誰の目にも明らかであり、株価の低迷はその苦しさを表している。
これまでの自民党政権ならば、恐らく危険水域まで支持率は下がっていただろう。しかも世論調査では、安倍政権の安保や原発政策、憲法改正への性急な姿勢には反対をしている人が少なくないにもかかわらず、それでも安倍内閣の支持率が高止まりしているのは一見不可解なことなのだが、まだまだ国民の多くが民主党政権時代の失望を引きずっていることをそこに見てとるのである。
むろん、だからこそ民主党は民進党へと名前を変えることで過去の負からの脱皮を図ろうとしていることは言うまでもなく、だとしたら名前と同時に役員体制もまた一新すべきだったと思っているが、それでも精一杯の選択だったのだろうとしかいいようがない。私などはかつての新進党の記憶が蘇り、後に再び分裂へとならないように願うばかりなのだが、まだまだ政権交代へのimageが描けないのが正直なところだ。
それだけに野党陣営にとって、北海道5区の補欠選挙の意味は大きく、民進党のエース議員が中心になって、かつてない地上戦と空中戦を繰り広げている。私は、はっきりとかなり左派色の強い市民運動が勝手連として前へ出すぎているやり方に、保守意識の強い有権者の反発を生んでいると指摘しているのだが、そのこともあって、ギリギリのところで、与党候補の地味だが手堅い活動が浸透しつつあるように感じている。
前述の夕刊紙は、安倍政権による地震の政治利用だと何でも難癖をつけているが、ただ建設的でない批判ばかりをしているようでは国民の理解は得られないだろうと思う。いずれにしても、選挙は最後まで予断を許さないが、政治の空気が見事に微妙に変わって行くことに注目をしている。
2009年の政権交代交代選挙の前では自民党のチラシをとってくれる人がいないと嘆いていたが、2012年では逆に民主党のチラシをとってくれないと言われ、政権が元に戻ってしまった。民主党政権の失敗が、結果的に強固な安倍政権を生み出すことになってしまったのである。
その度に政治の空気が信じられないほど変化することに戸惑いを深めて来たのだが、第三極と称した政党が消えて行く中で、政党政治の難しさや民主主義の危うさをより実感しない訳にはいかない。なにやらスローガンや空気によって変化する環境が、ますます政治的ニヒリズムの深化に繋がるのではないかと心配するのだが、こんな時は与野党問わず、よりこの国にとって仕事の出来る中身のある政治家に一人でも多く育っていただきたいとしか言いようがないと思っている。
地震を選挙に結びつけて考えることなど不謹慎の謗りを免れないが、24日まであとわずか、北海道5区の選挙の結果は非常に大きな意味を持つだけに、参考までに指摘をしておきたくなった。
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