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女の老い様 『宴のあと』(書評)

2015/10/15

川上伊織

川上伊織

419JJNWRJKL書籍:『宴のあと』
著者:三島 由紀夫
出版:新潮文庫
発行:1969.7.22

現代の選挙小説といえば、大概は若者のミステリーと相場が決まっているようなものであるから、中年を過ぎ、初老を目前にした主人公を選挙と結びつけた作品は珍しい。『宴のあと』の「宴」とは、熱を帯びる選挙のことであり、相手への思慕で身を焦がした恋心であり、人生の華やかなりしひと時のことでもある。

名高い料理屋の女主人・福沢かづは、力と情熱と自信と才気にあふれた女傑で、齢50あまりで「雪後庵」を一流の料亭に育てあげた。そんなかづにとって、人生の伴侶は庭であったのかもしれない。気持ちを落ち着かせ、かつ高揚させ、思慮も悲観も、およそ喜怒哀楽と呼ばれる感情の多くを、かづはこの庭とともに自らの胸に抱いた。

かづが愛する雪後庵の庭は、かつては整然とし、葉の一枚いちまい、新芽の一つひとつに至るまで、かづの視線を逃れるものはなかった。そこには人の手が加わった美しさがあり、その中にたたずむかづは、冴えわたる才覚で人生の先まで見通せるような気がしていた。

ところが野口と出会い、恋をし、選挙に身を投じていく中で、雪後庵の庭は一度は捨てられた。抵当に入り、木々は荒れ、草も伸び放題となった。盲目的に夫の選挙を戦うかづにとって、うらぶれた雪後庵の庭は、献身という自己陶酔の代償であった。

「宴」が終わると、かづは愛したと思っていた者の傍を去り、またあの庭に戻ってゆく。しかし、庭は元と同じではあり得なかった。手をかけても、完全にかつてのようには戻らない。やや野性味を帯び、調和一辺倒の完成美とは一線を画した新しい息吹が、そこにはあった。それは、迫りくる波を制御するのではなく、波に身を任せて乗り越えてみようとするしなやかな強靭さを備えたかづ自身を、確かに投影していた。

著者・三島由紀夫は、言うまでもなく日本の誇る大文豪の一人だ。主人公の姿を、愛する庭に照らして浮き出立せ、かづが憧れてやまない「墓」へのこだわりで彼女の欲を満たす。ここぞというときに描写する着物の細部が情景をピシッと引き締めるあたり、巷の通俗小説との格の違いが際立つ。

『宴のあと』は、実在の人物をモデルにしたために、プライバシーと表現の自由が初めて法廷で争われた作品であるという。その裁判ばかりが話題にされたようであるが、三島作品の多くに感じられる、耽美的な周囲の描写を通した主人公の自己肯定感の描きっぷりは、本作でも健在である。

 

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川上伊織

川上伊織

零細メディアにて約7年間、本の紹介コーナーを担当。絵本からビジネス書まで多岐にわたって、要約、書評、著者インタビュー、文学賞の取材などを行う。選挙に関わる人たちの近くで仕事をするようになって久しいものの、選挙の知識は相変わらず門前の小僧程度。日々精進します。

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