一定の年齢以上の日本国民で犯罪等によって公民権が停止されていない人には、等しく選挙権があるのは常識です。しかし、ある自治体に居住しているというだけで、国政選挙などの各種選挙に投票する権利がはく奪されていた時期がありました。今回はこのような事例を紹介します。
現在の日本では、一定の年齢以上で犯罪等によって公民権が停止されていなければ、全ての日本国民は選挙権が行使できる普通選挙を採用しています。この選挙権は憲法で保障されていますが、選挙の細かい規定を定めた公職選挙法第8条にはこのような規定があります。
交通至難の島その他の地において、この法律の規定を適用し難い事項については、政令で特別の定をすることができる。
この条文によって、憲法で保障されたはずの選挙権がはく奪された地域がありました。それは東京都青ヶ島村です。この青ヶ島村は伊豆諸島の南端にある青ヶ島全てを村域とし、現在の人口は200人弱という日本で一番人口の少ない自治体です。
青ヶ島は現在は港などが整備され、フェリーやヘリコプターといった島外への交通機関がありますが、かつては島外との連絡は極めて限定的な状態でした。青ヶ島は海岸が全て50 m以上の高さの断崖絶壁となっているため、大きな船を接岸することができる設備がなく、人がこぐ小さな艀を使って、沖合まで来た船と人や荷物をやり取りするという状態でした。
1950年代の記録によると、連絡船は月に1度沖合に来るものの、波が激しいと艀(はしけ)を出すことができず、海の荒れている冬場では3か月以上も島外と人や物のやり取りがなかったことが記録されています。また、島外との連絡手段が1日数回程度の短時間で不安定な無線電信のみという状態でした。
このような状態であることから、1945年の時点で青ヶ島村では当面の間は衆議院選を行わないと政令で定められ、参議院や都政選挙も同様の規程が設けられたのです(なお、戦前においては青ヶ島村民の参政権ははく奪されていなかったようです。ただし、1940年の東京府議会選で初めて島内に投票所が設置されたと記録されており、それ以前は投票するためには八丈島まで行く必要があったようで、投票者はほとんどいなかったようです)。
このような、憲法違反的な状況に、村長はたびたび選挙権を行使できるように請願を行いました。また、1954年に青ヶ島の実態が不明であることから東京都が学術調査団を派遣しましたが、この際にも村民が選挙権を行使できるようにするべきと報告されていました。
しかし、島外との連絡手段には前述したように大きな問題がありました。この問題は1956年5月末に無線電話の設備が島に導入され、外部と通話ができるようになったことで解決。このため、前述した公職選挙法第8条に基づいて、青ヶ島村は開票結果が出たら、まず電話で連絡し、その後、速やかに結果に関する書類等を送るという特例を政令で定めました。これによって、青ヶ島村は村政以外の選挙権が行使できるようになったのです。
村初の村政以外の選挙は、無線電話導入直後の1956年7月8日投票の参議院選でした。選挙に先立ち、6月中旬には飛行機からの選挙関係書類の投下や船を使った投票箱の搬入が行われ、選挙の座談会は役場の会議室に村民が入りきれないという盛況ぶりでした。そして、投票日当日は晴れ着を着たり、感激の声をあげたりした村民の姿が報告されています。なお、この選挙の投票率は77%と記録されています。
このように憲法で定められた国民の権利である選挙権が法律によって特定の地域に限り、約10年間制限されていたという異常な状態は終わりを告げました。
しかしながら、実はまだ公職選挙法上では青ヶ島に特例が存在するのです。公職選挙法施行令第146条は、そのものずばり「青ケ島村等における選挙の特例」という見出しとなっています。この施行令146条では、東京都が管轄する選挙を村政選挙と同時に行う場合、都が管轄する選挙の投票用紙を村で作ってよいということと開票結果の連絡と開票に関する書類提出は別々でよいという規程であり、これは1956年の初の国政選挙の時に設けられた規程でもあります。
全国で、見直し対象が97選挙区となった衆議院の区割り勧告が注目されていますが、ぜひ皆さんも自分の住んでいる地域についても注目してみてくださいね。
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