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【県内取材活動】 呉製鉄所廃止を受け、市民の皆様のご意見を募集!そして軍港・呉の歴史を探訪!

2023/10/16

広島瀬戸内新聞In呉を10月17日。

呉製鉄所の歴史を探訪しました。

広島瀬戸内新聞は呉製鉄所廃止を受けて呉市民の皆様に取材をさせていただいています。
 

広島瀬戸内新聞は呉製鉄所廃止を受けて呉市民の皆様に取材をさせていただいています。

090-3171-4437 hiroseto2004@yahoo.co.jp までご意見や情報をお寄せください。

いろいろな世代のいろいろな方のご意見や情報をお待ちしております。


跡地利用問題では、いろいろな政治家がいろいろな提案をされています。ただ、設備の解体に最低でも10年はかかり、しかも

民間の土地です。


最初に取材に伺った谷本誠一元市議によれば、

『多くの政治家が提案しているような案は実現は難しいだろう。解体後に更地にしたところで国が買い取ってくれるような

話でないと、乗りづらいのではないか?中央政府の官僚が本気で動くような案件がでないと実現は難しいのではないか?』

『あるとすれば、市の中心部にある自衛隊が移動してくるくらいだろうが、自衛隊側にメリットがなければ実現は難しい』

とのことです。

呉市中心部の20代の市民は、
『跡地利用のような10年かかる話は難しいのでは?あるとすれば宇宙産業のようなものだろう。

産業振興策で跡地を当てにするようなやり方は難しいだろう。産業振興については

例えば、地元出身の若い人が、小規模でもいいからネットワークを作り、それを活かした起業を地元に帰ってするとか、

そういうことの積み重ねではないのか?』

とのご意見でした。

いずれにせよ、#呉製鉄所跡地 を産業振興に直ちに結びつけるような条件はないと感じました。

#呉市民の皆様 、いかがでしょうか?


呉駅前で会社を経営する藤川清明さんは『製鉄所の廃止はショックだし、残念、一方で感慨深い』とのことです。


 

祖父の住田喜作さんが弟とともに製鉄所の前身の呉工廠水雷部で魚雷製造に携わっておられました。

日清戦争中の1895年から第二次世界大戦直前の1940年の45年間、勤め上げられたそうです。

仕事を頑張って東京での研修、さらには英国への留学もさせてもらったとのことです。

戦前の呉工廠ではクラブ活動が盛んだったとのことです。

野球部も工廠の各部門ごとに5つもあったそうです。その男性経営者の祖父が

野球を普及する中心だったとのこと。社員の子どもさんの間にも少年野球を普及させたとのこと。

タイガースの『代打ワシ』藤村冨美男やミスターホークスの鶴岡一人投手、また、ジャイアンツで活躍し、

その後は、アンチ読売に燃えてカープやスワローズ、ライオンズの基礎を作った名将・広岡達朗らを呉は輩出。

あまり表には出てこなかった歴史ですが、呉市史にそうした喜作さんの活躍が出ています。

そして、呉工廠の学徒動員の生存者である佐藤康則さんにもお話を伺うことができました。

(以下、筆者自身との混同を避けるため、康則さんと表記します。)
呉第二中学校時代に動員され、3年生の時、1945年6月22日の空襲を体験したそうです。


1945年6月22日、海軍呉工廠にB29が『最初は蚊のような感じ』で現れ(小さな機影とブーンという音)それがだんだん、大型のB29

であることがわかったと康則さんは振り返ります。

B29は写真の赤の点線で囲んだ場所をピンポイントで攻撃。このため、工場近くの康則さんの自宅も焼け残ったそうです。

康則さんは「大砲などを作っている部署は破壊しつつ、造船を行う部署は米軍が戦後に使うつもりだったのでは?」と推測しています。


康則さんは防空壕に避難して助かったが、別の防空壕に避難した女子挺身隊員が防空壕が水没してしまい、多数の隊員が溺れてしまいました。教官の指示で、ダメだろうと思いつつも女子挺身隊員らを引き上げて人工呼吸をした。そして遺体は、トラックからはみ出て足が

だらんとしていたのが印象に残ったそうです。

一方、そのころ、康則さんのお父さんはフィリピンの第103海軍工作所に赴任後、行方不明になりました。

フィリピンを攻め落とした日本軍は米軍基地をそのまま接収して、海軍工作所をつくりました。しかし、

1944年12月に米軍の反攻により、お父さんたちも逃げましたが、怪我をして山岳地帯でおそらく犠牲に

なったろうとのことです。戦後、何度も遺骨収集に行かれたそうです。

そうしたことから戦後、進学を勧められるも辞退し、英国軍でバイトをしたそうです。

とかく、進駐軍と言えば米軍と決めつけがちです。しかし、呉は英国軍の管轄だったのです。
康則さんは中学時代に学んだ英語を活かしてイギリス軍で5年間バイトした後、第二種大型免許を取得。

日新製鋼に入社し、定年まで勤め上げられました。
退職後もパソコンの職業訓練を受け、その経験を活かし、92歳の現在もご自分でパワーポイントを使ったご講演をされるなど

大活躍です。
康則さんには、製鉄所のみならず、旧海軍工廠全体を山の上からご説明いただいております。


 

戦艦大和も造った造船部門は当時を基本的に残したまま石川島播磨重工業を経由してジャパンマリンユナイテッドの造船所に。


戦前・戦中に兵器やその材料の鉄を作っていた区域は6月22日の空襲で完全に破壊されました。そこに1951年、日新製鋼が誘致され、2023年9月まで稼働していました。



 

そこで、康則さんはずっと働いておられたわけです。英軍バイト時代を除き、戦中・戦後を通じて同じところで働いておられたわけです。
正に生き字引です。康則さん、ありがとうございました。
 

この日は取材終了後、呉駅前でれいわ新選組・チーム広島の皆様とともに街宣を行いました。


外遊中の広島県の湯崎知事について「日本酒やカキの売り込みにフランスに行っているというが、三原産廃処分場から出ている汚染水は川や海へ流れ込む。これを放置していては意味がないのではないか?」と指摘。

また、「最近の湯崎さんは、県民の声を全く聴かないで大型事業を進めている。平川理恵教育長は、非正規の先生の待遇改善などを放置してお友達の企業やNPO、赤木かん子さんらを儲けさせてきた。」

「知事や教育長が好き放題している広島県政をあなたの手に取りもどすヒロシマ庶民革命を!」

などとボルテージを上げました。

一方で

「地方の庶民に最も優しい政策を打ち出しているのがれいわ新選組だ。国政では応援している。」

と紹介しました。

 

 

 

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著者

さとう しゅういち

さとう しゅういち

選挙 広島県議会議員選挙 (2023/04/09) 2,673 票
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広島市安佐南区選挙区

肩書 介護福祉士・元広島県庁職員・広島瀬戸内新聞社主
党派・会派 庶民革命ひろしま
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