2026/8/18
広島土砂災害から12年──本紙・佐藤が歩んだ「逃げ帰りと帰還」の災害史
千葉豪雨は何を告げたのか
https://www.youtube.com/live/umdMD67Kz40?si=5UG2LzVt9v6aTOzS
◆Ⅰ 2014年6月──本紙・佐藤はすでに広島を離れていた
2014年6月。
本紙佐藤は、広島での活動に限界を感じ、
すでに東京へ逃げ帰っていた。
広島を愛し、
広島を憎み、
広島に疲れ、
広島を離れた。
その決断は、
「広島を見捨てた」という罪悪感と、
「もう無理だ」という限界の狭間にあった。
◆Ⅱ 8月20日──広島土砂災害の惨状が東京で襲いかかる
そして、8月20日の朝。
東京でニュースが流れた。
安佐南区山本で一家が土石流で行方不明
梅林(緑井北部・八木南部)が壊滅
八木地区の状況が次々と判明
本紙佐藤は、
「広島が壊れている」
という現実を、東京で突きつけられた。
逃げ帰ったばかりの心に、
広島の惨状が突き刺さった。
◆Ⅲ 帰還──内定辞退、アパート解約、そして広島へ
本紙佐藤は決断した。
「広島を何とかせにゃいけん」
その思いが、逃げ帰ったばかりの身体を再び動かした。
内定していた就職先に頭を下げ
東京のアパートの大家に事情を話し
8月22日、広島へ戻った
そこからは、
ボランティア活動、情報収集、政治家への政策提言。
広島の惨状を前に、
「広島を愛し、広島を憎み、広島を離れ、広島に戻る」
という複雑な感情が、行動へと変わった。
当時はまだ今ほど暑くなかった。
それが唯一の救いだった。
◆Ⅳ 2018年──西日本大水害、猛暑の中で倒れた
4年後の2018年、西日本大水害。
広島・岡山・愛媛が壊滅した。
この時は、
猛暑が災害をさらに悪化させた。
本紙佐藤自身も、
ボランティア活動中に熱中症で倒れ、
「KO負け」した。
2014年とは違う。
気候が明らかに変質していた。
◆Ⅴ そして2026年──千葉豪雨、巨大都市圏が沈んだ
今回の千葉豪雨。
首都圏東部の巨大都市圏を直撃し、13人が犠牲になった。
放置車両1200台以上
千葉市だけで約1000台
医療機関24施設が浸水
高齢者施設21施設が床上浸水
鉄道・道路・変電所が同時に機能停止
これは、
21世紀に入って初の巨大都市圏水害と言ってよい。
本紙佐藤が記憶する1993年赤坂見附水没とは、
都市インフラのレベルがまったく違う。
それでも沈んだ。
つまり、
気候がインフラの想定を超えた。
◆Ⅵ 高気圧の位置が北へ──日本が“旧南洋諸島・東南アジア化”した
今回の千葉豪雨の最大の特徴は、
高気圧の位置が異常に北へ偏ったこと。
その結果:
関東が高気圧の“南の縁”に入る
東風が流入し続ける
湿度が暴走する
台風後も豪雨が続く
スコール型豪雨が連続発生する
これは、
日本列島が旧南洋諸島・東南アジアの気候帯へスライドした
ことを意味する。
世界でも同時に異変が起きている。
フランスで猛暑により原発が停止
ハンガリーで熱波が社会機能を麻痺させる
地球沸騰化は、
第三ステージに入った。
◆Ⅶ 本紙佐藤の問い──「人類は戦争をしている場合か」
千葉豪雨の惨状を見て、本紙佐藤は問い続ける。
人類は戦争をしている場合か。
核兵器に資源を浪費している場合か。
広島を愛し、
広島を憎み、
広島を離れ、
広島に戻った本紙佐藤だからこそ、
この問いは重い。
広島は、
戦争の愚かさを語る街ではなく、
気候危機時代における人類の優先順位を問い直す街であるべきだ。
◆Ⅷ 広島を「平和・防災・環境・テクノロジーの首都」に
本紙佐藤の構想は明確だ。
広島西風新都への省庁移転
呉日鐵跡地への防災省誘致
広島を「平和・防災・環境・テクノロジー」の首都へ
防災と環境を国家の主流政策へ
広島は、
戦争の記憶を語るだけの街では終わらない。
気候危機時代の“人類の生存戦略”を提示する都市へ。
本紙はその先頭に立つ。
◆結語:広島から問い続ける──「人類は、戦争している余裕が本当にあるのか」
2014広島土砂災害。
2018西日本大水害。
2026千葉豪雨。
この12年の災害の連続性は、
本紙佐藤の人生そのものと重なり、
日本の気候史の変質を示す。
そして広島から問うべき核心は一つだ。
人類は、戦争している余裕が本当にあるのか。
気候危機は待ってくれない。
防災・環境こそが国家の最優先課題である。
本紙佐藤の歩みは、
その問いを広島から世界へ投げかけ続ける道である。
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