さとう しゅういち ブログ
広島の戦後復興を支えた女性たち──「ドカチン」と「失対」が語る都市の記憶
2026/7/20
広島の戦後復興を支えた女性たち──「ドカチン」と「失対」が語る都市の記憶
広島の戦後復興を語るとき、
人々はしばしば「男性の復員兵が瓦礫を片づけた」というイメージを思い浮かべる。
しかし、そのイメージは半分しか正しくない。
広島の街を立ち上げたのは、男性だけではなかった。
女性が、土木・建築・瓦礫処理の現場に大量に入っていた。老人ホームで働く介護職員である佐藤が、ある九十代の女性に
「若いときどんな仕事をされていたのですか」
と尋ねたとき、返ってきた言葉は二つだけだった。
「ドカチン」
「失対」
その二言は、広島の戦後復興の“地層”をまるごと語っている。
🟥 1 なぜ女性が土木建築に入ったのか
● 男性が足りなかったからではない
広島は原爆で都市機能が壊滅した。
必要だったのは「人手」ではなく、
“人手が必要すぎる”という異常な量の復旧作業だった。瓦礫は市内に約180万トン道路はほぼ全滅河川は土砂で埋まり、流路が変わった公共施設は基礎から作り直しこの膨大な作業量を前に、
労働市場は男女の区別をしている余裕がなかった
● 女性が入ったのは「例外」ではなく「構造」
広島では、瓦礫運び道路の敷設河川の土砂上げ建築現場の手元
に女性が普通に入っていた。これは「男性がいないから女性が代わりに働いた」という単純な話ではない。
復興の人的基盤として女性労働が制度的に組み込まれたのである。
🟥 2 「失対(失業対策事業)」が女性の生活と復興を支えた
失対は、戦後の生活保護の前段階のような制度で、
働けば日当が出る“命綱”の公共事業だった。
広島では、
失対の現場に女性が多数参加
失対の土木作業が復興の中心
女性が家族を支えるために日当を得る
という構造が成立していた。つまり、広島の復興は、女性の生活労働と公共事業が一体化した構造だった。老人ホームの90代女性が言った「失対」という一言は、
その構造の核心を突いている。
🟥 3 女性は“生産”と“再生産”の二重負担を担った
戦後の女性は、昼は瓦礫運びや土木作業
夜は家事・育児・介護
という二重の役割を担っていた。研究は、
女性の再生産労働(家事・育児)が、復興の市場労働を支える基盤だった
と指摘する。つまり、女性は「働きながら家族を再生産する」という二重の復興労働者
だった。広島の復興は、女性の身体と生活の上に成立していた。
🟥 4 広島の女性土木労働者は“都市の創造者”である
広島の街は、誰が作ったのか。
その答えは、歴史の表面には書かれていない。しかし、老人ホームの一室で、
90代の女性が静かに語った二言がその答えを示している。「ドカチン」「失対」彼女は、瓦礫を運び道路を作り河川を掘り家族を支え広島の街を自分の手で立ち上げた
人である。広島の戦後復興は、
男性の復員兵だけではなく、
女性の肉体労働によって支えられた都市史なのだ。
◆総括
広島の戦後復興は、女性の身体と労働によって支えられた。
「ドカチン」「失対」と答えた女性は、
広島の街を自らの手で作った“都市の創造者”である。
この事実を記録することは、広島の歴史的責任である。
さとう しゅういち
サトウ シュウイチ/50歳/男