さとう しゅういち ブログ
礼節を土台に、極端を避け、二重の責任を見据えながら語り続けます
2026/6/24
礼節を土台に、極端を避け、二重の責任を見据えながら語り続けます広島に生きる私たちは、原爆投下の非人道性を訴えると同時に、日本の加害責任をも直視するという「二重の責任」を担っております。どちらか一方を免罪するのではなく、歴史の全体像を丁寧に語り続けることこそ、広島が世界に向けて果たすべき使命であると考えます。しかし現代の政治風土では、「中道」という言葉が本来の意味を失い、何も言わずにお茶を濁す態度と同一視されがちです。対立を避けるために沈黙することが中道ではありません。また、声を上げる人が極端に振れ、強烈な主張で場を支配する姿も散見されます。私たちは、そのどちらにも与しません。本紙が掲げるのは、庶民の生活に根ざし、現実的な改革を進める「穏健保守」の立場です。お茶を濁さず、しかし極端にも走らず、礼節をもって地域の課題に向き合う姿勢を大切にしております。先日、ある駅前で共産党市議が街頭演説をされていました。政治的立場が異なっても、地域のために活動する姿勢には敬意を払うべきだと考え、「お疲れ様です」「おはようございます」と深く頭を下げてご挨拶をいたしました。しかし、市議は目をそらし、不快そうな表情を見せられました。 この出来事は、政治的誤解がいかに人と人との距離を生んでしまうかを象徴しています。本紙は、共産党支持でもなければ、特定の党派に偏るものでもありません。それでもなお、私たちを共産党支持者と誤解される方がいるのも事実です。今回のすれ違いは、その誤解がいかに根強いかを示しています。歴史認識においても同様です。日本の加害責任を語ると「自虐だ」と批判され、原爆投下の責任を問うと「被爆ナショナリズム」と罵られる。こうした単純化は、歴史の複雑さを切り捨て、対話の可能性を狭めてしまいます。本紙は、韓国人原爆犠牲者慰霊碑への参拝や、韓国人被爆者が多く暮らす介護施設での支援など、国籍を超えた追悼と実践を重視してまいりました。これらは、戦後責任を「語る」だけでなく「担う」行為であり、決して特定の政治勢力に与するものではありません。政治は本来、対立や敵視ではなく、地域の課題をどう解決するかを競い合う場であるべきです。異なる立場の人々が互いに礼節をもって接し、必要な場面では協力し合うことこそ、広島の政治文化を豊かにする道だと考えます。本紙は今後も、庶民の視点に立ち、穏健で現実的な改革を目指す立場から、歴史の全体像を見据えつつ、米国にも日本にも必要な責任を問い続けてまいります。 極端に走らず、お茶を濁さず、礼節を忘れず、地域社会の信頼を育てる政治文化を広島から発信してまいります。
さとう しゅういち
サトウ シュウイチ/50歳/男