さとう しゅういち ブログ
広島瀬戸内新聞 社説 過去の冤罪を正しながら、現在の悲劇を繰り返すのか――国家は十六歳少女の...
2026/6/19
広島瀬戸内新聞 社説 過去の冤罪を正しながら、現在の悲劇を繰り返すのか――国家は十六歳少女の死から何を学ぶのか
◆Ⅰ 日野町事件――司法が「過去の過ち」を認めた日
滋賀県日野町事件の再審で、検察はついに有罪立証を断念した。
阪原弘さんは、長年にわたり冤罪を訴え続けてきた。
その声がようやく司法に届き、無罪が現実味を帯びた。これは、
「過去の刑事司法が誤っていた」
という事実を、国家がようやく認めた瞬間である。だが、ここで私たちは問わねばならない。過去の冤罪を正すことは重要だ。
しかし、現在の冤罪予備軍を生み続ける司法は、
いったい何を反省しているのか。
◆Ⅱ 同じ関西で、十六歳の少女が“現在の司法”に殺された
日野町事件の再審が進む一方で、
同じ関西の兵庫県では、
十六歳の少女が、
警察・検察・裁判所というシステムの中で命を奪われた。少女は、
利用者同士の噛みつきを止めただけだった。
介護現場では日常の行為である。それが「暴行容疑」とされ、
四カ月後に突然逮捕。
未成年で、逃亡の恐れもなく、親元もある。
それでも勾留は十八日間延長され続けた。少女は否認した。
無実だからだ。しかしこの国の司法は、
「否認=悪質」
という倒錯した文化をいまだに抱えている。否認すれば勾留が延びる。
勾留が延びれば精神が壊れる。
精神が壊れれば食事が取れなくなる。少女は拘禁反応で衰弱し、
体重二十キロで死亡した。これは、
国家の制度が生んだ死である。
◆Ⅲ 検察・警察は何を反省したのか――日野町事件の教訓はどこへ行ったのか
日野町事件の再審は、
検察が「証拠がない」と認めたからこそ前に進んだ。しかし兵庫の少女事件では、
微罪容疑
未成年
逃亡の恐れなし
親元あり
否認しただけで勾留延長
拘禁反応の放置
という、
冤罪の典型的パターン
がそのまま再現されている。
つまり、
検察・警察は過去の冤罪から何も学んでいない。本紙・佐藤は、
この矛盾を見逃さない。
◆Ⅳ 立法府は何をしているのか――これは政治の怠慢ではないのか
冤罪事件が起きるたびに、
政治家は「再発防止に努める」と言う。だが実際には、取調べの可視化は不十分勾留延長の乱用は野放し否認=悪質という文化は温存少年事件の保護原則は形骸化検察・警察の裁量は巨大なままつまり、
立法府は制度を変えていない。冤罪は司法の問題であると同時に、
立法の怠慢が生み出す政治の問題でもある。本紙・佐藤は、政治に問う。あなたたちは、何度同じ悲劇を繰り返せば気が済むのか。
◆Ⅴ 少女の死を“外国人叩き”に利用する過激派へ――本紙・佐藤は断固として距離を置く
少女の死をめぐり、
「外国人には甘いのに日本人には冷酷だ」
と叫ぶ者がいる。本紙・佐藤は、
こうした論点すり替えを断固として拒絶する。少女を殺したのは、
外国人ではない。
国家の制度であり、司法の文化である。少女の死を憎悪の道具にする者は、
事件の本質を理解していない。本紙・佐藤は、事件に便乗して外国人叩きを行う過激派を応援しない。
少女の死を利用するな。
勘弁してほしい。
◆Ⅵ 結語――過去の冤罪を正すだけでは、未来の冤罪は止まらない
日野町事件の再審は、
司法が「過去の過ち」を認めた象徴である。しかし兵庫の少女事件は、
司法が「現在の過ち」を続けている証拠である。国家は、
過去には謝るが、
現在は変わらない。この構造を変えなければ、
第二、第三の少女が生まれる。本紙・佐藤は強く訴える。国家は、十六歳の少女の死から学べ。
過去の冤罪を正すだけでは足りない。
現在の冤罪を生む制度を変えよ。
それが政治の責任であり、司法の責任である。
さとう しゅういち
サトウ シュウイチ/50歳/男