さとう しゅういち ブログ
ヒロシマ・ナガサキ・チェルノブイリ、そしてフクシマを繰り返さない──原子力と人間の責任
2026/4/26
ヒロシマ・ナガサキ・チェルノブイリ、そしてフクシマを繰り返さない──原子力と人間の責任 https://youtu.be/QhNjO-AhLOM?si=YmEIQKknIPXJWoE9 @YouTubeより
ヒロシマ・ナガサキ・チェルノブイリ、そしてフクシマを繰り返さない──原子力と人間の責任
1986年4月26日、チェルノブイリ原発事故が起きた。
当時、小学五年生だった私は、最初にその異変を知ったのがスウェーデンの放射線量上昇の報道だったことを覚えている。ソビエト政府は当初、情報を隠した。だが、やがて事故の深刻さが明らかになり、放射能は欧州全域、そして日本にも飛来した。
「原発は怖い」と感じながらも、「日本ではそんなことは起きない」とどこかで思っていた。
その思いは、次々と裏切られていく。
1995年12月8日、もんじゅナトリウム漏れ事故。
1997年3月11日、動燃東海村火災爆発事故。
1999年9月30日、JCO臨界事故では大内久さん、篠原理人さんが命を落とした。
2004年8月9日、長崎原爆の日に、美浜原発で老朽化した配管が破裂し、4人が死亡。
2006年には、福島原発の全電源喪失の危険性が国会で指摘されたが、当時の政権はそれを笑い飛ばした。
2007年の新潟中越沖地震では柏崎刈羽原発が被害を受けたが、幸い大事故には至らなかった。
そして2011年3月11日──東日本大震災と福島第一原発事故。
チェルノブイリと並ぶ人類史上最悪の原子力災害となった。
事故から15年。
福島の収束は見通しが立たず、燃料デブリの取り出しには何十年、あるいは何百年かかるとも言われる。
チェルノブイリのように覆いをかけて封じ込める方が、まだ現実的に見えるほどだ。
2024年元旦の能登半島地震では、志賀原発も損傷を受けた。
それでもなお、日本社会には「喉元過ぎれば熱さを忘れる」空気が漂う。
岸田政権は気候変動対策やDXを口実に原発推進を再開し、現政権もそれを継承しているが、本当にそれでいいのか。
事故がなくても、核のゴミは残る。
南鳥島が文献調査を受け入れたというが、何万年も責任を持って管理できるのか。
上関原発予定地──広島カープ二軍本拠地のすぐ近く──では、関電と中国電力が中間貯蔵施設を計画している。
瀬戸内海の海底には活断層が多く、芸予地震型の再来も懸念される。
伊方原発は半島の根元にあり、避難は事実上不可能。中央構造線断層帯のすぐそばだ。
島根原発も活断層の近くにあり、県庁所在地に立地する唯一の原発。高齢化した都市部からの避難は困難を極める。
AIの普及で電力消費が増えると言われるが、蓄電池との組み合わせでピーク電力を抑えることも可能だ。
気候変動対策や中東情勢の不安定化があっても、原発推進が唯一の答えではない。
地域住民との共同を前提とした再生可能エネルギー──ソーラーシェアリング、地熱、小水力──など、現実的な選択肢はある。
つなぎとして高効率火力を活用する道もある。
広島・長崎・チェルノブイリ・福島。
この四つの地名は、いずれも「人間が制御できなかった力」と「情報を隠した政治」がもたらした悲劇の象徴だ。
最初の被爆地・広島の市民として、ウラン鉱山周辺での被曝にも思いを致さねばならない。
原子力の問題は、技術ではなく倫理の問題である。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」社会では、次の世代に責任を果たせない。
さとう しゅういち
サトウ シュウイチ/50歳/男