さとう しゅういち ブログ
歴史の記憶を忘れた航行──台湾海峡通過が映す想像力の欠如
2026/4/19
歴史の記憶を忘れた航行──台湾海峡通過が映す想像力の欠如
海上自衛隊の護衛艦が十七日、台湾海峡を通過した。
国際法上、公海を航行することは自由である。人民解放軍でも米軍でもロシア軍でも、法的には問題ない。
しかし、今回の通過が行われた日付──1895年4月17日、下関講和条約の調印日──は、単なる暦の偶然では済まされない。
その日、日本は清から台湾を割譲された。
歴史の記憶を持つ国々にとって、この日付は「帝国の始まり」を象徴する。
その日に日本の軍艦が台湾海峡を通過したという事実は、法的には正しくても、政治的にはあまりに鈍感だった。
外交とは、法の論理だけでなく、記憶と感情の地層を読む想像力の戦いである。
日本側がこの日付の意味を十分に考慮していなかったとすれば、
それは単なる偶然ではなく、想像力の欠如である。
国際社会において、歴史を忘れた行動は、意図せざる挑発として受け取られる。
そして挑発よりも恐ろしいのは、無意識の挑発だ。
中国側は冷静だ。
抗議声明も出さず、感情的な反応も見せていない。
しかし、それは怒っていないという意味ではない。
むしろ、冷静さこそが戦略である。
中国はこうした象徴的な出来事を積み重ね、
「日本は歴史を軽視する国」「軍事的に不安定な国」という印象を国際社会に浸透させ、
政治・経済の両面で日本を徐々に不利な立場に追い込むだろう。
直接的な報復ではなく、静かな冷却戦略として。
日本は「法的に問題ない」と言い続けるだろう。
しかし、国際政治は法だけで動かない。
歴史の記憶を読む力、他国の感情を想像する力、
それが外交の成熟であり、国家の品格である。
1895年の下関講和条約の日に台湾海峡を通過した護衛艦。
その航跡が示したのは、軍事力ではなく、想像力の欠如という国家の弱さだった。
法の正しさに安住する国家は、やがて歴史の記憶に足をすくわれる。
外交とは、記憶を読む知性の競技である。
日本はその競技に、いま敗れつつある。
さとう しゅういち
サトウ シュウイチ/50歳/男