2023/11/9
1943年、大学生だった私の父は学徒出陣により、海軍予備学生として大日本帝国海軍に入隊。土浦海軍航空隊で士官になるための基礎軍事訓練を受け、徳島海軍航空隊にいたそうです。裏千家の千玄室さんや俳優の西村晃さんが同期で徳島で一緒だったと話していたことを覚えています。
父は62歳で膵臓癌のため死去しましたが、今年、関東大震災から100年と聞くたび、そうか、父が生きていれば100歳なんだと思います。そして、学徒出陣から今年は80年でもあるわけで、共に出陣した多くの学友たちが亡くなったことは、その後の父の生き方に大きな影響を与えたように思います。あの猛烈過ぎる働きぶりは、瓦礫と化した日本の復興のために、生き残った者の責任としてだったのではないか。
父は戦争の話をほとんどしませんでしたが、お酒を飲むと「同期の桜」を唄うので、幼かった私も「貴様と俺とは同期の桜、同じ航空隊の庭に咲く、咲いた花なら散るのは覚悟」と共に唄ったものですが、ある日、「この歌は哀しくていや」と言うと、「そうだな、大勢の人が死んだものな」と言い、それからはタンゴのレコードをかけ、「より子、一緒に踊ろう」と、ラ・クンパルシータやべサメムーチョなどに代わりました。
母は学徒勤労動員で、高等女学校3年から軍需工場で働くことになったといいます。
そんな両親でしたから、戦後に生まれた私や妹が、伸び伸び勉強やスポーツができることを嬉しそうに見ていました。8月15日の敗戦の日には必ず我が家はすいとんが出て、「戦争なんてしちゃいけないことを忘れないために作るのよ」と母は言っておりました。
今は敗戦の日にすいとんを作る家庭はないでしょうね。
敗戦から78年。しかしウクライナでもガザでも、人々の命が失われている。1989年にベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終わって、平和な世界が訪れるのだと嬉しかった。
それなのに今、戦争で死傷者が増え、世界中で、勉強ができないどころか、食べる物にも困る難民も増え続けている。
人類はちっとも進歩していないと哀しくなります。私たち一人一人が、ガザ侵攻の即時停止、ウクライナ戦争をやめてと叫んでも、どうにもならないのでしょうか。
愛する人を奪われた人の苦しみ辛さに寄り添わないといけないと思いますが、だからといって、相手の愛する人を奪っていいのでしょうか。
国際政治の力学は、そんな甘いこととは無関係に動いているのでしょうね。
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