2023/1/19
28年も経った。家族・友人を失った人々にとっては、昨日のことのように辛く、28年も経ったとは思えないかもしれない。
あの日の朝、私は8時42分のひかり83号で神戸に行くことになっていた。参議院法務委員会のメンバーで1泊の神戸視察が入っていたからだ。
6時半に目覚めてテレビをつけると、どのテレビ局もなにやら様子がおかしい。阪神の方で大地震があったようなのだが詳細が分からない。
しかし、神戸に行くのはまず無理とすぐわかり、法務委員会の担当者と委員長に連絡を入れ、東京駅集合を国会に変更すべきと提案した。しかし、もう東京駅に向かっている委員もいるだろうからと、予定通り、8時半ホームでという。行ってみると案の定、新幹線は動かない。視察は中止。すぐさま国会へ向かい、テレビで地震の被害状況をみることになった。まだスマホもSNSもなかった時代である。
それからすぐに野党だった新進党でも災害対策本部が作られたが、私は独自に被災状況の確認に入った。それは、「ハンド・イン・ハンドの会」という離婚女性のネットワークを主宰していたのだが、当時3,000人近い会員のうち300人以上が兵庫の在住者だったからだ。
秘書やスタッフらを動員して片っ端から電話かけを始めたがほとんどが通じない。
そこで往復ハガキで安否や、不足品はないかを聞くことにした。
ポツポツと返信ハガキが戻ってきて、けがをした人がいたが、みな生存していて安堵した。
寝巻きに素足のまま飛び出して足を切った人もいたが、そのあと家が燃え、とじこめられる前に息子ととびだせて良かったという人。
2日間、マンションの部屋のたんすと壁の間に3歳の娘と閉じこめられて、叫んでも助けが来ず、男手があればなあとつくづく思ったという人。子ども部屋がほしいと言っていた娘たちが、震災後、「お母さんと一緒に寝られる部屋があれば十分。たんすもこわいからいらない」と言うようになったと書いてきた人。
どの返信用ハガキにも地震と火災の恐怖、そしてなんとか助かったという喜びがぎっしりと書かれていた。
私は同時に、ハンドの会員に呼びかけて、寄付をつのり、それで不足のものを送ろうとしたのだが、被災した会員たちはもっと困っている人たちに送ってほしいという。そこで半年後、神戸の母子寮に寄付金を送った。
あの阪神淡路大震災では、46万世帯が全壊・半壊になり、犠牲者は6,434人にものぼった。そのうち、女性は男性よりも1,000人近くも多い.
高齢や、離死別で一人ぐらしの女性は逃げにくかったと思われる。そもそも、離別の一人ぐらしは木造の賃貸住宅住まいが多く、地震で一番にやられた可能性が高い。
ようやく避難所に逃れることができても、そこでは男女共用のトイレしかなかったり、着替えのための間仕切りもない。そして性被害まで続出する。
この阪神淡路大震災から、ようやく災害本部に女性の声が必要と認識されるようになった。災害はもちろん起きてほしくないが、それを減災にくいとめる知恵は必要で、女性が主体となって、非常時の人々の力になれるような体制にしたいものである。
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地方議員のなり手がいない
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