2022/12/22
今年は例年より受け取る喪中はがきが多くて、3年前には囲碁を一緒に楽しんでいた人が、コロナ禍でしばらくお会いしないうちに亡くなってしまわれるなど、ショックです。
年齢よりも元気だと走り回っていた私が、思いもかけず、現代医学ではわからない難病になるなど、過信は禁物ですね。
なんとか体力を取り戻しましたが、まだしばらく薬漬け。
入院中に母が緊急入院して、老衰ですが、いつ逝ってもおかしくない、時間の問題となり、こちらは手術後の点滴中。病院に駆けつけることも出来なかったのですが、高齢者施設のスタッフさんがすべてやってくださり、施設に戻ってからも、手厚い介護をしてくださり、母は私が元気になるまで半年も頑張ってくれました。
コロナ禍ではありましたが、実際に面会ができ、母の横に寝て、身体をさすったり、足や手をマッサージしたり、音楽療法士の人の伴奏で、父母がよく歌っていた昔の歌を歌ったり。
新型コロナで亡くなった人だけでなく、今でも病院や高齢者施設では見舞いも看取りもできないとか。
看病も看取りもできないのは辛いですよね。
母は苦しまず、食べられなくなって、枯れるように亡くなりました。理想的な死に方で、大往生でした。何もかも施設のスタッフさんたちのおかげで、感謝しかありません。
その後の葬儀は、私の体調のこともあり、家族だけですませましたが、それでも父方の親族などに連絡したのですが、みんな80代以上。入院中だったり、家族の介護をしていたり。
高齢化が進み、長寿者が増えることは喜ばしいことですが、周りの親族友人知人は既に他界していて、葬儀に集まる人は極僅かというケースが増えるのもいたしかたないですね。
さらに、都会では、地縁が薄くなっています。
例えば、私の父は40年近く前に亡くなりましたが、まだその頃は、企業社会で、葬儀も会社の人たちが大勢来てくれたものでしたが、これも廃れてきているし、そもそも、定年をかなり過ぎてからの逝去では会社縁も切れている。
コロナ禍でなくても、家族だけの簡素な葬儀が増えているのも時代なのでしょう。
墓についても、いろいろ考えさせられました。母は父と同じ墓に入ってもらうとして、離婚した私はさて入るところはあるのか。自分でカッコいい墓を作るかな。それとも散骨かな。
だんだん墓を守る人もいなくなります。昨年、別れた夫が亡くなり、娘が葬儀を取り仕切り、京都の知恩院に納骨しました。京都なら、観光で行きやすい。なかなか良いアイデアだと思いました。
葬儀や墓のありよう、考え方が、時代と共に変わっています。
思い出してくれる人がいる限り、その人は生きている。それでいいのかなと思います。
前回はこちら
子どもに予算を
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