2026/8/10
外部性は税で正す。だが税率は国会で決める。例を挙げれば、上流の工場が廃液を流し、下流の漁場が痩せる。他人が確かに損をしているのに、その損は原因をつくった側のコストに一円も算入されない。コストに算入されない損は、価格にも反映されない。市場がうまくいかないのではない。コストの一部が価格から抜け落ちているから、正しい答えの出しようがないのである。
抜けた分を価格に戻す。外部性への課税とは、これが目的だ。規制は「この設備を導入せよ」と命令し、補助金は「この技術を選べば金を出す」と誘導する。どちらも正解を政府が事前に知っている前提に立つ。課税は違う。コストを払ってもなお続けたいなら続けてよい、とシグナルを送るだけだ。フリードマンも、個別の規制より排出課徴金が優れていると書いた。彼が批判したのは課税ではなく、官僚の民間介入である。
問題は、税率を誰が決めるのかだ。外部コストの推計が科学的に一意に定まるならいざ知らず、割引率の置き方ひとつで結論は数倍に振れる。その選択は事実上、所管官庁の内部で行われている。地球温暖化対策税は二酸化炭素一トンあたり300円に届かず、一万円前後の欧州の排出枠価格と並べれば、価格シグナルとしてはほとんど無に等しい。名前は外部性への課税だが、機能は単なる増税である。
自動車関係諸税も同じ道をたどった。道路特定財源が一般財源化された後も、暫定と名のついた上乗せ税率だけは半世紀近く残った。目的が消えても税率が消えないのは、税を握った組織が自らの手で税を手放すことがないからだ。
警戒すべきは、ピグー税という理屈ではない。その理屈を増税の看板に使う手口のほうである。だから順序を逆にしてはならない。税率と課税ベースを法律に明記し、業種別の減免を時限化し、賦課金の類はすべて税として税制改正の場に載せる。そのうえで外部性への課税で得た税収は、一円残らず他の税の恒久的な減税に充てる。景気が過熱しているならいざ知らず、実質賃金がようやく底を打った段階で税の純増を許す理由はない。目的を失った税を廃止し、外部性に見合う課税だけを残し、総税収の純増をゼロに縛る。この三点を税制の原則として書き込むことが急務である。
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