2026/8/24
【手賀沼ディズニーランド構想】
かつて手賀沼のほとりに描かれた「幻の構想」をご存じでしょうか?
手賀沼タワー、ジェットコースター、水族館、科学館、温泉ホテル、手賀沼を横断するケーブルカー。
総面積40万坪。
この構想の会長は、元東京都知事。昭和のあの時代、この静かな沼に、それほど壮大な夢が描かれていました。
※正確には、これは「ディズニーランドを造る計画」ではありません。
観光で沼を盛り上げようという話が出たとき、当時の人々が「ディズニーランドのようなものを」と語ったことに由来する通称です。
東京オリンピックから、すべては始まりました。
昭和39年の東京五輪。その漕艇(ボート)競技場を手賀沼へ誘致しようと、地元は沸き立ちました。
しかし——選ばれたのは、埼玉県戸田。手賀沼は、夢の舞台になれませんでした。
ところが、話はここで終わりません。
オリンピックが絶望的になったその席上で、「ならば、自分たちの手で」と、あの壮大なレジャーランド計画が持ち上がったのです。
挫折が、さらに大きな夢を生みました。
yosukeyam
手賀沼
13分
その後、起工式まで行われましたが、沼の汚染と財務の悪化で、計画は幻に。
予定地は住宅地へと姿を変えました。
株を買い、換金できずに終わった方も多かったと、私は何人もの方から直接うかがっています。
もし実現していたら——。
全国には、当時の施設が老朽化し扱いに困っている例も少なくありません。
実現しなかったからこそ、跡地に千百戸を超える人々が移り住み、それが今の発展の礎になりました。
夢が叶うのと叶わないの、どちらが幸せだったのか。誰にも断言はできません。
いま手賀沼のほとりでは、再び観光をめぐる議論が起きています。
半世紀前の夢が、「この沼をどう活かすのか」を、私たちに問いかけ続けています。
あなたは、手賀沼のこれからに、何がふさわしいと思いますか?
この物語の全貌は、noteに綴りました。コメント欄に貼っておきます。
一次資料をたどって調べています。

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