2026/8/17

(写真 薩摩川内市大小路町にある山本實彦像)
薩摩川内市東大小路町に生まれた山本實彦(1885~1952年)をご存じでしょうか。
山本は新聞人として活動した後、1919(大正8)年に改造社を設立し、総合雑誌『改造』を創刊しました。のちには衆議院議員となり、戦後は協同民主党の初代委員長も務めています。現在、川内まごころ文学館には、山本實彦と改造社に関する多くの資料が収蔵・展示されています。(まごころ文学)
『改造』が生まれた1919年は、第一次世界大戦後、世界的に民主主義や社会主義への関心が高まり、日本でも普通選挙や労働者の権利を求める運動が広がっていた時代でした。
山本實彦は『改造』を通じて、文学だけでなく、政治、社会、労働、経済、思想など幅広い問題を取り上げました。
芥川龍之介、谷崎潤一郎などの文学者をはじめ、多くの知識人が『改造』に寄稿しました。現在の川内まごころ文学館にも、改造社に残された200人を超える作家の直筆原稿などが保存されています。(まごころ文学)
その『改造』は、社会主義やマルクス主義を論じる知識人にも発表の場を提供しました。
日本共産党が創立されたのは1922(大正11)年です。
当時、日本社会では貧困、長時間労働、地主と小作人の格差など深刻な社会問題が存在していました。一方、ロシア革命などを背景に、「資本主義とは何か」「社会をどう変えるのか」という問題を考える人々が増えていました。
そのなかでマルクス主義を研究した代表的な知識人の一人が経済学者・河上肇です。河上は後に日本共産党に入党しました。日本共産党自身も、河上が真理を探究するなかから科学的社会主義に接近し、入党した経過を党史の一つとして紹介しています。(日本共産党)
つまり改造社は、日本共産党の出版社ではありませんでしたが、共産主義者を含むさまざまな立場の思想家や文学者が社会に向かって発言できる重要な言論空間となっていたのです。
ところが、日本が戦争への道を進むにつれて、こうした自由な言論は厳しく弾圧されていきます。
その象徴の一つが「横浜事件」です。
『改造』1942年8・9月号に掲載された細川嘉六の論文「世界史の動向と日本」を一つの契機として、警察は雑誌編集者や研究者らを治安維持法違反の疑いで次々と検挙しました。改造社関係者も弾圧を受けました。(国立国会図書館デジタルコレクション)
そして1944年、『改造』は廃刊へ追い込まれます。
これは単なる一出版社の歴史ではありません。
戦争を進める国家が、まず自由な言論を押さえ込み、政府に批判的な思想や出版活動を弾圧していった歴史でもあります。
ここは正確に見ておく必要があります。
山本實彦は日本共産党員ではありません。戦後も日本共産党ではなく、協同民主党の初代委員長を務めました。(まごころ文学)
しかし、山本がつくった『改造』は、自分と異なる思想であっても社会に紹介し、読者自身が考える材料を提供する雑誌でした。
だからこそ、文学者だけでなく、社会主義者、マルクス主義者、自由主義者など、多様な人々がそこに集まりました。
この姿勢こそ、今日振り返る価値があるのではないでしょうか。
山本實彦の歴史をたどると、
大正デモクラシー
→ 社会主義思想の広がり
→ 1922年の日本共産党創立
→ 治安維持法による弾圧
→ 横浜事件と言論弾圧
→ 敗戦と戦後民主主義
という日本近現代史の大きな流れが見えてきます。
そして、その中心的な出版人の一人が、私たちの郷土・薩摩川内から生まれた山本實彦でした。
川内まごころ文学館には、いまも山本實彦と『改造』の足跡が残されています。そこにあるのは単なる「文学の歴史」ではありません。
異なる意見であっても発表できる社会を守ること。権力によって言論を封じさせないこと。そして、一人ひとりが自分の頭で社会について考えること――。
戦後81年を迎えた今日、山本實彦と改造社の歴史は、私たちに「言論の自由とは何か」を改めて問いかけています。
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