2026/8/2
前回のブログに引き続き、今回は僕が政治を志す原体験となった出来事を書きます。
◾️リーマンショックと派遣切り
2008年9月、リーマン・ブラザーズ破綻に端を発した世界金融危機が日本を直撃。
僕は当時、人材派遣で営業の仕事をしていました。
自動車産業を中心に「派遣切り」が相次ぎ、職を失った人々が次々と会社へ戻ってきました。
人間性も能力も申し分ない方から契約を切られていく。
正社員と非正規社員とで線引きされているとしか思えませんでした。
僕は彼らの不満や悩みに耳を傾けました。
ある青年は、
「なぜ私に仕事はないのでしょうか?」
と心境を吐露してくれました。
その一言に、胸が張り裂ける思いでした。
同じ人間なのに、非正規社員というだけで、なぜこんな不条理がまかり通るのか!
真面目な人間が損をする世の中であっていいのか!
若かった僕は義憤に駆られていました。
彼らの派遣先を確保するために、東奔西走。
受け入れ先を見つけるために必死でした。
彼らが放り出された先に、そもそも「不十分な制度」の穴に落ちてしまった人を支える仕組みは、ほとんどありませんでした。
政治がこれほど直接的に、普通の人々の暮らしを変えるのか。
そのことを肌感覚で知りました。
◾️「制度の空白」に落ちていく人たち
当時、職を失った人の生活を守る仕組みは、雇用保険と生活保護の二つしかありませんでした。
ところが、この二つの「あいだ」に、大きな穴が空いていたんです。
雇用保険は、もともと正社員を主な対象とした制度。
短期・細切れの契約で働く派遣の人たちは、加入の条件を満たさず、そもそも入れていないことが多かった。
一方の生活保護は、資産や扶養の条件が厳しく、働ける現役世代にはなかなか届きません。
つまり――派遣切りにあうと、
・休業給付ももらえない
・生活保護も受けられない
・何の支えもないまま、いきなり放り出される
・しかも寮付きの派遣が多かったので、仕事と同時に住む場所まで失う
2008年の年末、東京の日比谷公園に「年越し派遣村」
あれは、この「制度の空白」に落ちた人たちの姿そのものでした。
この穴を埋める「第二のセーフティネット」ができたのは、2011年。
この出来事から、3年も後のことでした。
政策は、間に合わなければ人を救えない。
あのとき制度が備わっていたら、僕が励ましたあの人たちは、もう少し違う顔をしていたかもしれません。
日本の政策の優先順位と予算の判断が、何年も後になって命の重さとなって返ってくることがある。
この二つの体験が、僕が政治の世界へ踏み出す原点になりました。
この原点を忘れず、小さな声に耳を傾けて、生活と生命を守る政治を実現していきます!
画像↓は、僕が売ってたギターの一本です!カッコよ!

この記事をシェアする
ヤスダ カズヒロ/43歳/男
ホーム>政党・政治家>安田 かずひろ (ヤスダ カズヒロ)>政治を志す原体験――二つの「政策の失敗」