2026/2/21
【伊藤たかえ参院議員のSNS被害に思うこと】
梶原みずほです。
性別と無関係の職場で必死に働いているのに、女性であることと仕事の成果を安易に結びつけ、おとしめようとする人は、どの環境でも一定数、存在します。
伊藤たかえ参院議員が、「色仕掛け」という趣旨のSNS投稿に対する法的措置をとることを知り、胸が締めつけられる思いでした。30年以上、会社員として働いてきましたが、同種の屈辱にもがき苦しんだひとりです。土下座して謝罪してもらったこともあれば、捜査当局に相談したこともあります。けれど現実には、毎回、否定し、抗議し続けるエネルギーも時間もありません。声を上げれば、面倒な人として扱われることも目に見えています。だから、ただひたすら堪え忍ぶ——その習慣だけが身についてしまいました。私に限らず、絶望し、我慢し、あきらめ、沈黙することで、同様のことがいまも様々な場所で繰り返されています。
それがどれほど日常的かといえば、この短い選挙戦でさえ、複数回ありました。例えば、とある記事に私がかつて働いていたところの幹部たちを「骨抜き」にしたようなことが書かれました。オンナを武器に男性に媚びる——そんな印象を、さりげなく、しかし確実に植え付ける巧妙な表現です。何百回、いや何千回?、経験してきた私は「またか」と思いつつ、「そんな人間ではない」と有権者に伝えなければならない。一方で、反論すれば記事が拡散し、寝た子を起こす。葛藤の中、結局、時間切れとなり、悔しさだけが残りました。
「The Personal is Political(個人的なことは政治的なこと)」という言葉があります。1969年にキャロル・ハニッシュが書いたエッセーのタイトルで、1970年代の女性解放運動のスローガンになりましたが、時代を超え、現代まで様々な文脈で使われてきました。その意味するところは、個人の体験は個人の問題に見えて、実は社会の制度やルール、慣習などによって形作られており、個人レベルの処理で片づけてはいけない、ということです。
このままだと、私たちの周りにいる大切な人や次世代の子たちに同じ侮辱が再生産されていきます。人を傷つけるSNS投稿は、個人の体験の枠にとどめず、社会がその痛みや怒りを共有し、一緒に解決する必要があります。
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カジワラ ミズホ/53歳/女
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