2025/11/21
福井市中心部に位置する「片町(かたまち)」。
現在では飲食店やバーが立ち並ぶ福井随一の繁華街として知られていますが、その歩みをたどると、福井城の建設に端を発した城下町から、繊維産業の中核地、そして戦後復興を象徴する夜の街へと、多彩な表情を見せてきました。
本稿では、片町がどのように生まれ、どのように現在の姿に至ったのかを、時代の流れとともに紹介します。
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■ 江戸時代──外堀に寄り添う「片原町」の誕生
片町の歴史は、福井城の築城(1606年頃)とともに始まります。
地域の中央を通る現在の片町通りは、かつて城の外堀「百間堀」に沿うように伸びていました。
堀の西側だけに家々が建ち並んでいたことから、この一帯は**「片側町(かたわらまち)」と呼ばれ、やがて「片原町(かたはらまち)」**へと転じます。
「片町」という呼び名は、この片原町の略称として定着し、住民の間で自然に使われてきた通称です。
当時の片原町は武家地と町人地が接する境界的な地域で、堀沿いには商いを営む町家も多く、城下町ならではの活気を見せていました。
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■ 明治〜大正期──外堀の埋め立てとともに商業地へ
明治に入り、福井城の外堀は次々と埋め立てられます。
片町も大きな転換点を迎え、堀によって分断されていた東側が開けたことで、町は一気に拡大していきます。
特に目覚ましい発展を見せたのが 繊維産業 でした。
福井は羽二重・絹織物の一大産地であり、片町には繊維問屋、商社、金融機関が集まり始めます。
やがて「取引のまち」としての性格を強め、商工会や銀行の支店が軒を連ねるオフィス街としても存在感を高めていきました。
また、大正期にはヨーロッパ軒の創業(福井移転)が象徴するように、飲食店も増え始め、商人や職人が集うにぎわいの中心地となっていきます。
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■ 昭和初期──劇場・娯楽施設が生んだ文化の街
工業が郊外へ移転していくにつれ、片町は商取引のまちから文化と娯楽の拠点へと進化します。
加賀屋座、松竹館、国際劇場、福井東宝劇場など、複数の劇場が建ち並び、芝居、映画、寄席などを楽しむ市民で賑わいを見せました。
周辺にはカフェや食堂、酒場が増え、昼だけでなく夜の顔も持つようになります。
この頃には、現在の「福井の夜といえば片町」というイメージの原型が形成されていました。
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■ 戦争と地震──壊滅的被害と復興
しかし昭和20年代、片町の姿は大きく変わります。
戦時下の福井空襲、そして 1948年(昭和23年)福井地震 により、片町を含む中心市街地の多くが壊滅的被害を受けました。
それでも、住民たちの力によって街は復興を果たし、戦後の再開発で新たな建物や店舗が次々と建設されていきます。
劇場街としての賑わいを取り戻し、飲食店やバー、スナックが集まる「昭和の繁華街」として発展を続けました。
この時期、片町は福井の戦後復興を象徴するエリアとして、特別な存在感を持つようになりました。
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■ 平成〜現代──商店街の挑戦と“まちの物語”の再発見
平成以降、全国的な中心市街地の衰退と同様に、片町も再生が求められる時代に入りました。
しかしその中で、地域住民と商店街は歴史と文化を資源とした新しいまちづくりに取り組み始めます。
歴史を歩いて学ぶ「まち歩き」イベント
古地図を元にした街並みの復元ワークショップ
古い建物の保全活動
路地や小さな店の魅力発信
これらの活動によって、片町は単なる歓楽街ではなく、歴史を継承する文化的エリアへと再評価されつつあります。
現在では、老舗と新しい店舗が共存し、昼と夜で表情を変える「歩いて楽しいまち」として、観光客にも人気が高まりつつあります。
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■ 片町は、変わり続けながらも“福井の中心”であり続けてきた
江戸時代の外堀沿いの町家から始まり、
明治大正の商業地、昭和の文化・娯楽の拠点、
そして戦後の復興と現代のまちづくりへ──。
片町の歴史は、福井という街そのものの歩みと重なり、
幾度も形を変えながら、ときに力強く、そしてしなやかに現在へと繋がっています。
訪れるたびに新しい発見があり、過去の記憶がそっと顔を覗かせる。
片町は、そんな“物語のある街”なのです。
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ホーム>政党・政治家>大谷 たかまさ (オオタニ タカマサ)>福井市・片町の歴史 城下町から歓楽街へ ― 時代とともに姿を変えたまちの物語