2025/7/18

浅殿神社(あさどのじんじゃ)は、兵主神社所管社の二十一社の一つであり、古くは比留田神社(ひるだじんじゃ)とも称されていました。そして、平安時代に編纂された『延喜式神名帳』にも名を連ねる延喜式内社という、非常に格式高い神社なんです。
この神社の歴史を語る上で興味深いのが、鎌倉時代に伝えられる遷座の物語です。かつて浅殿神社には三柱の神様が祀られていましたが、あの源頼朝の命により、そのうちの悪王子神(あくおうじのかみ)が隣接する西河原二ノ宮神社(にしがわらにのみやじんじゃ)の境内に遷されたと言われています。
伝承によると、頼朝が兵主神社に参拝した際、乗っていた馬に異変が生じたそうです。その原因が浅殿神社の霊神にあると知った頼朝が、神様を別の場所に移すよう命じたのだとか。歴史の教科書に出てくるような人物が、この神社の由緒に深く関わっていたと知ると、さらに興味が湧いてきますね。
「浅殿」という特徴的な名前には、こんな由来があります。降神歌(こうしんか)に「阿波理夜遊婆須止麻素佐奴阿佐久良爾天津於理万志麻世(あばりやゆばすとはそさぬあさくらにつきおりましましめ)」とある中の「阿佐(あさ)」が語源とされています。それゆえ、かつては「阿佐久良(あさくら)」とも呼ばれていました。
残念ながら、浅殿神社の詳細な記録は、享保年間の洪水で旧記類が全て流失してしまったため、多くが失われてしまっています。しかし、そのことがかえって、この神社の持つ神秘性を高めているようにも感じられます。
境内はこじんまりとしていますが、隅々まで手入れが行き届いており、清々しい空気に満ちています。派手さはありませんが、趣のある本殿や、境内に点在する小さな祠なども見どころです。一つ一つの建造物から、この神社が長きにわたり地域の人々によって大切に守られてきたことが窺えます。



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