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山口 花 ブログ

【前編】なぜ私がここに立つのか

2025/5/30

みなさまこんばんは。

明日も朝から駅に立つのに、しとしと雨の偏頭痛と少しのエモーショナルに襲われて寝つけない政治家のたまご、山口花でございます。

 

東京都練馬区より都政に挑戦するため、国民民主党の公認内定を経てからちょうど丸っと1ヶ月が経ったくらいでしょうか。なんともあっという間で、人生で1番多くの人に触れ合った1ヶ月だったような気がします。

 

私が初めて「政治」というものを意識したのは大学3年生、21歳の頃でした。それから6年後、こうして駅に立ち、みなさまの声を聞かせていただく側に立っているとは思いもしませんでした。

 

今日は少しだけ、政治に出会ってからのお話を書いてみようと思います。

 

 

「なんで玉木の秘書になったの?(なんでお前がなれたの?)」という質問には、もう何百回も答えてきた気がしますが、これはシンプルに縁だったなあと思います。当時大学3年生だった私は、ボランティア団体の先輩だったカメラマンの友人に誘われて、旧国民民主党のYouTubeチャンネルで玉木代表と対談することになりました。今の私が21歳に戻っても絶対に引き受けないのですが(笑)、そのくらい政治やそれを取り巻く世界に対して無知でしたし、無知だからこそいただいた機会だったなあと思います。「政治に関心がない大学生」という枠で参加した私は、政治に関心がないどころか参議院と衆議院の違いさえよく分かっていない、政治界隈から1番遠くにいた人間でした。

 

地方出身で、漠然とした夢を持って上京した先でぶち当たった圧倒的な環境格差。当たり前が違う世界で育った人たちとの出会い。私は地元が好きですが、自分がここ東京で生まれ育っていたら、また何か違う人生があったのかな、と何度も自分の人生に嫌気がさしてしまうくらいの「違い」。生まれた場所が違うだけで、同じ国でもこんなに「違う」のかと、良い悪いの言葉では表しきれないたくさんの壁や谷や沼に出会いました。

 

初めての玉木代表との対談で、唯一頭に残っている言葉であり、今も私が目指したい日本の姿である「どんな環境に生まれても子どもが夢を持てる国をつくりたい」という思いを聞きました。当時のちゃらんぽらんな私からしてみたら、経歴だけでも天の上の人のような玉木代表と同じ価値観を持っていたことが不思議で、面白くて、そういう言葉をなんも分かっていない若者に真っ直ぐとぶつけてくる政治家が本当に新鮮で、衝撃を受けたのを覚えています。

 

元々エンタメ系で働いていたこともあり、最初はTPOもわかっておらず、圧倒的なギャルビジュアルで永田町に出入りするようになってから数度目、私を拾ってくれたのは伊藤孝恵参議院議員でした。伊藤さんは私と少し話しただけで「あなた面白いし、なんか私に似てる気がする!」と、どこの馬の骨かも分からない私を事務所に招き入れインターンとして置いてくれました。そこでまさに第一歩を踏み出し、結果的に玉木代表の秘書となるわけですが、「なぜなれたか」と聞かれれば、「生き急いでいたからじゃない?」と思っています。

 

上京してからの生活、ひとり暮らしの私立四年制の大学生。当たり前に、地方で生活しているのとはレベルが違うお金がかかります。時給で働いていても追いつかないと気付いた大学1年生から、PRやマーケティング、ウェブメディアの運営やCMのディレクションなど様々な分野でのいわゆる「広告屋さん」として渡り歩き、国民民主党と出会った頃には個人で仕事ができるくらいにはなっていましたので、その生き急いでいた故のスキルが一定評価されて、かつ自分の「政治っぽくなさ」が逆に政治との親和性を高めて、ここにたどり着いたんだろうなあと思います。

 

とはいえ、2020年22歳新卒、まだまだ政治界隈で言えば赤ちゃんなレベル。そんな時に直撃したコロナ。私の卒業式は、当時感染者100人ほど、ダイヤモンドプリンセス号の話題で持ちきりの中、当然の如く中止になりました。永田町は世の中に比べたら平常運転でしたが、それでも制限される生活、その中で求められるまだ見ぬ社会人としての当たり前、心を壊す友人たちも多くみてきました。政治に対して当事者意識を持てるようになったのは、その時まさに日本をなんとか立て直そうと奔走する政治家・玉木雄一郎の姿を1番近くで見てきたからでした。

 

そしてその後、コロナが冷めやらぬ中、国民民主党と立憲民主党の分党・合流騒動があり、玉木雄一郎秘書だった私は葛藤する多くの議員をすぐそばで見ながら、新・国民民主党に移りました。この時に感じたこと、起こったことはここにはあえて書きませんが、私の人生にとって今後も大きく影響を与えたものでした。

 

新党に集まったのは国会議員15人に加え、経験者4名の党職員、そして新国民民主党に参加した議員の秘書の皆さん、代表秘書だった私は党本部との架け橋として党本部で働くことを命じられました。とはいえ当時はもちろん事務局だけの事務所もなく、国会の一室に議員の隣に机を並べて働き始め、秘書さんも入れ替わり立ち替わり、まさに全員野球で回していました。気が付けばぬるっと党職員になり、経験者4人の足を引っ張らないようとにかく駆け抜ける日々でした。政調・選対・広報など、初期の頃は当たり前に人は足りないので、部署は全て渡り歩いたと思います。

 

議員のすぐそばで働いていたからこそ感じる、「議員」という仕事に託された責任の重み。これが分かっていたからこそ、私は全く議員になるつもりはありませんでしたし、25歳を迎え様々なオファーを様々な党から頂いても断り続けていました。

 

じゃあなぜ私が政治家になろうと思ったのか。

 

それを意識し始めたのは、2022年の参議院選挙の後から2024年衆議院議員選挙までの一連の流れを見たからかもしれません。

 

支持率は低迷を続け、2022年の参議院議員選挙で結党の仲間を落選させてしまったことはとても大きな悔しさで、その後続いた議員の首長への転身、そして前原さんの離党、そういったものを全て超えて迎えた2024年の衆議院議員選挙。ここでの大きな風は、無風の期間が長すぎた私たちにとっても予想していなかった出来事でした。

 

同じことを愚直に続けているだけなのに、こんなにも世の中の動きが変わるのかと驚いたと同時に、その残酷さと突拍子の無さに新しい衝撃を受けました。

 

風は誰にも読めないし、風に頼って何かをしても人は簡単に離れてしまう。

 

それを肌で感じたからこそ、

「結党の理念を守ること」

これがぶれなければ、国民民主党は必ず国民のための政治を実現できる。そう確信しました。

 

とは言え支持率が上がれば注目度も上がる。公募には1000人を超える人が集まり、地方選挙でも負け続きではなくなりました。まさに「風」が大きくなればなるほど、本当は喜ぶべきなのかもしれないのに、私の中での違和感も少しずつ大きくなっていきました。

 

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著者

山口 花

山口 花

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練馬区選挙区

肩書 玉木雄一郎秘書/国民民主党職員
党派・会派 国民民主党
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