2024/11/7

今日からは事実ではなくて私の考えなんですね。この考えがまあ3年か5年かかかってるんですが、どうして日本は日本人は絡合ができるのか。なぜ絡合なのか。絡合は何を日本人にもたらしたのか。それは本当に日本だけなのか。それとも諸外国に共通して絡合というのがあるのかということをですね、自分としては研究し解明してきたわけです。それがある段階に達したもんですから意を決して、昭和天皇のご発言からこのシリーズを始めて今日からは、天皇陛下はなぜあんなに偉かったのか。その天皇が偉かったという背景はどこにあるのか。それは日本の絡合と幸福ということで、まとめてみれば考えてみればなぜその絡合とか幸福が天皇陛下の人格に関係してるのかどうかってなことに踏み込んでいきたいという風に思います。
このタイトルはなぜ天皇陛下は断然国民よりか偉いのか。これは天皇陛下偉いと。天皇陛下万歳と。天皇陛下にお会いすると涙が出てくる。こういった一般的な天皇陛下に対する敬愛の情っていうのは日本人にはあります。しかしここで私がお話したいのは、それがどういう下でできてんのか。私はやっぱり学問なんでできれば万人がなるほどと思うような根拠を持ってお話をしたいという風に思いますね。僕は宗教は非常に尊敬しておりますし否定もしておりません。ただ宗教は直感であるとか神様からの啓示っていうなものがありますから。宗教の全てを人間の頭で理解できるようにはならないんですね。で科学はそれよりかずっと引いておりまして、直感とか神様からの啓示によらずに非常にこう稚拙な私はそう思ってますが、人間の頭ってのは稚拙なんですけど稚拙な人間の頭でも、頑張って123と積み重ねていくというのが私の科学に対する考えであります。
という前置きをしまして、今日は織田信長が天下を取る寸前に実際上は本能寺の変で殺されてしまうので、天下統一はできなかったんですけど、ほぼ天下統一の状態の時に天皇陛下にお会いになってそしてここの絵にありますように非常に深く頭を下げて天皇陛下に供物をあげて、そしてもうじき天下を統一できる見込みでありますので、その節には是非ご協力をお願いしたいと、ご理解をいただきたいということをお願いに行った時の想像図であります。えこれは非常に私にとっては思い出のもので実は私は会社での仕事は原子力でした。で原子力の研究所の所長をやっておりまして。いろんな外国人とも長くお付き合いしました。特に世界はです大体日本とフランスが原子力発電所を大体50機ぐらい持っておりまして。非常に強い国だったんです。アメリカは100機ぐらいありましたがね。それでフランス人との付き合いが多かったですから。フランス人が1度とならずも何回も来られましたけどね、何回も来られた時1度ですね名古屋城の話をしたことが有ります。それから織田信長という人間がどういう人間か、それがいわゆる戦国時代にどういう風にやってきたかていうの話をその方はあのフランスのワインの産地のワイン農家の次男ぼうで頭は非常に良かったんでしょうね。長男がワイン農園を引き継いだので、自分は原子力をやるようになったと言っておられました。
その方とお話をしてですね、それで名古屋城についても非常に面白いご意見を言っておられましたね。私にしてみば名古屋城っていうのは日本人にしてみればですね尾張名古屋は城で持つというぐらい立派なお城ですね。徳川のあの元々は織田家のもんですけども、徳川時代になってから徳川の御三家が住んでおられたわけです。東海道の要衝にありますし。大変立派な城なんですが、そのフランス人が言ったのは随分小さいお城ですね。どなたがこのお城に住んでおられるんですかと聞かれましたね。お城の中には王様とその関係者と重臣なんかが住んでおられました。とまこういう風に私が答えたらそれじゃあ一般の武士とかお百姓さんとかどこに住んでんですかっていうから、お城の外側に住んでます。とこう言ったら、それじゃあ戦争の時にみんな皆殺しになっちゃうじゃないですか。こう言われるので、いや日本の戦争は武士同士で戦うんですけど、お百姓さんを殺すなんてことありません。むしろお百姓さんは戦場からここ危ないから山の上の方に逃げてれと言って逃げさせて戦争する。で戦争が終わったら百姓はまたゾロゾロと山から降りてきて耕地を耕すんですと。まそうようなことをお話しいたしました。
文明というのは国によって随分違ってですね、常識自体が違うので。世界のお城っていうのを何かのおりにこのひばりクラブでもご紹介したと思います。けどもやっぱりなかなか移民とかそういうのはうまくいかないのは、文明の根本から違うことなんですね。ほんでそれから先に織田信長が天下を統一しそうになったという話をずっといたしましてね、その時にこの話をしました。元々日本は天皇陛下が国を治めておりましたけども、まあ貴族の時代になり、やがて武士がその実力で天下を統一するようになると。それから約600年ぐらい武士の時代が続くんです。とまいうことを言いました。それで説明を色々した後織田信長が天下を統一する前には天皇陛下の京都の天皇陛下の所に行って天皇陛下もその頃実権はほとんどなかったので京都の御所というところにま衛兵が100人もいないというような状態でお住みになってた。財政的にも非常に厳しかった。それに対して織田はもう勢力流流とあるもんですからお土産を持ち、私が天下を取ったら天皇陛下にもいい待遇をいたしますと。まいうようなこと言って、深深とお辞儀をしたという話をしたら、フランスのその人が突如ですよ私に言った言葉が私のま人生でも大きなことでしたね。それは武田さんその話は嘘だと言ったんです。僕驚いてですねいや僕と彼は親しかったですから。礼儀も正しかったですから。そんなこと言う人じゃないんですよ。だけども言われたんで僕はびっくりしてしまって、えいやいや本当の話ですよって言ったらね、1番力が強かったのは織田信長でしょうと。そうですと。じゃあ天皇陛下を切り殺したらいいじゃないですかと。切り殺すに決まってるじゃないですか。どこの国でもそうですとこう言われましてね。
確かにその通りなんですよ。地球上におそらく日本に一応簡単な調べはしておりますが、日本国以外で1番強い1番上にいる人、ランキングが上にいる人が力が弱いなんてことはそれは不合理なんですよね。それはフランスでも、あのブルボン朝が強い時はブルボン朝。元々まあ9世紀ぐらいからねえフランスという国が少しずつできてくるわけです。フランク王国ができてくる。それで非常にこうローマ教皇から戴冠を受けたりして非常にきちっとした国になった。しかし常にそれは戦争に勝ってですからね。1番強い人が国王ですよ。ほんでその国王がかすれてきたら次の全然別の国王が出てきてでそれが国王を追い出すとか切りころすとかして、そして次の王国を開くというのがもう世界どこでもそうですからね。私の話が嘘に聞こえたのはやむおえないんです。
ところが私はその時にああ自分は日本人だと思いました。私は日本人なので織田信長が天皇陛下を切りころすなんてことは考えもしなかったんですよ。僕は思ったんですよ。あ、なるほどと。それでこの話がなぜ私はその時に頭が混乱してて整理できなかったですね。今になってやっとそれから大体私がそうですね40歳をちょっと超えたぐらいの時ですか、もうそれから40年経ちますが、やっと最近この関係がよく理解できた。つまりこの織田の力が1番強いのに、天皇陛下に頭を下げたということはもちろんそれは天皇陛下を悪く、こうなんか裏から見ればですね、意地悪的な見方すれば織田は天皇陛下の意向を借りてそして統一しようとしたというのは言えますよ。確かにその通りで織田信長が武田勝頼を攻める時には、天皇陛下のご命令という形で攻めておりますから、それはそうなんですけどもしかしそんなことがあってもね、それ利用する利用しないは別にしてこのような関係が成立してるというその国っていうのはやはり私は日本しかなかったと思いますね。
これはなぜなのか。これが最近私は解けたんですよ。あなるほどと思ったんですね。それでこのシリーズ日本の絡合と幸福というのを始めてそして昭和天皇の言葉を借りてですね、なぜ天皇は天皇陛下が国民より偉いのかということの謎がやっと解けたとまいうことで、この7番今日はシリーズの7番ですが、そこからしばらく日本の国民の精神状態がどうしてできてきて、その中で天皇陛下や絡合とかそういったものがどのように形成されてきたかとまいうことを私このを通じてね。だんだん自分の考えも固めていきたいとまそういう風に思う。私の人生にとって大事件だということであります。
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ホーム>政党・政治家>中村 ひとし (ナカムラ ヒトシ)>日本の絡合と幸福(7)「なぜ、天皇陛下は断然、国民より偉いのか?」