2026/2/11
本日2月11日は「建国記念の日」です。
ただ、この祝日は「建国記念日(建国した“その日”)」ではありません。あえて“の”が入るのは、日本の「建国」をいつの一点に確定するかが歴史的に単純ではないからです。そのうえで、国家として「建国をしのび、国を愛する心を養う」日として位置づけられています。
そしてこの2月11日には、はっきりした“出発点”があります。戦前の祝日「紀元節」です。
結論から言うと、明治6年(1873年)に、2月11日が「紀元節」として制度上固定されました。
明治政府は改暦(太陰太陽暦から太陽暦へ)を進める中で、祝祭日を整備し、太政官が公布した布告(太政官布告第344号)で、「紀元節 2月11日」を含む祝祭日を明示します。
ポイントはここです。
「神武天皇の即位日を祝う」思想は先に出てきますが、“太陽暦の毎年2月11日”として固定したことで、カレンダーに刻まれる国家行事になりました。
根拠とされたのは、日本書紀にある、神武天皇の即位に関する記述です。要点はこうです。
神武天皇が
「辛酉年 春正月 庚辰朔」(干支で表される年と日)
に橿原宮で即位し、その年を「元年」とした
この「辛酉年春正月庚辰朔」という“暦情報”が、後に2月11日へ変換される材料になります。
ここが一番誤解されやすい点です。
『日本書紀』は「西暦◯月◯日」とは書きません。古代の表現(干支や旧暦)で書きます。そこで明治政府は、改暦後の太陽暦で祝日を固定するために、次のロジックを使いました。
『日本書紀』にある「辛酉年」を 西暦紀元前660年とみなす
その年の「正月朔日(ついたち)」を、太陽暦で固定する必要がある
その結果、「正月朔日」を 2月11日とする、という整理に到達した
この「固定するために2月11日とした」という経緯が、2月11日の起点です。
要するに、2月11日は「歴史学の実証で“建国日が確定した”」というより、古典記述を国家行事として毎年固定するために、暦の換算で選ばれた日です。
戦後、日本の休日制度は大きく組み替えられました。
戦前は勅令により「祭日」「祝日」が定められていましたが、その中に「紀元節(2月11日)」が入っていました。内閣府は、当時の休日がどのように構成されていたかを整理し、戦後はその枠組みが失効し、法律(祝日法)へ移行した流れを説明しています。
つまり、制度面だけを冷静に言えばこうです。
戦前:勅令で休日(祭日・祝日)を定め、そこに紀元節があった
戦後:その枠組みは失効し、祝日は国会が法律で定める仕組みへ移った
その過程で「紀元節」は、戦後の新しい祝日群からは外れた
ここで重要なのは、祝日が“国家の意思表示”である以上、制度変更は必ず政治過程を通るという点です。祝日は単なる休日ではなく、「この国が何を大事にするか」を国民全体で共有する装置でもあります。
そして昭和41年(1966年)、祝日法の改正で「建国記念の日」が設けられます。ただし、法律は日付を直接は書かず、「政令で定める日」としました。e-Gov法令検索で確認できる通り、祝日法そのものがそう規定しています。

そのうえで、日付を決めるために政府内に建国記念日審議会が置かれ、公聴会なども行った上で、「2月11日」が答申されました。
最終的に、政令(昭和41年政令第376号)で
「建国記念の日は二月十一日」
と確定します。
ここまでの流れを一行で言うならこうです。
戦前の「紀元節(2/11)」は一度制度から消えたが、戦後の法律体系の中で、趣旨を変えた「建国記念の日」として2/11が再び採用された。
法律ではなく、政令で。
「建国記念の日」は、特定の政党やイデオロギーの専有物ではありません。
むしろ私は、こう使うのが一番健全だと思います。
祝日とは、カレンダーに刺さった「考えるためのしおり」です。
今日という1日を、ただの休みにせず、歴史と制度を確かめる日にしていきたいと思います。
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