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星野 しょう ブログ

選択的夫婦別姓への反対論:夫婦同姓制度の戦略的意義と家族共同体の再評価

2025/3/16

はじめに

家族は歴史的に、個人と社会・国家との間に立つ重要な中間集団として機能してきました。近代自由主義社会において個人の権利や自由が拡大する一方で、家族構造の変化や弱体化が個人の孤立や国家依存を招いていないかが議論されています。

本論文では、「家族の防波堤機能」が個人の自由をいかに守るかを多角的に分析し、特に日本で議論のある夫婦別姓導入の影響について検討します。また、北欧の福祉国家との比較や、自由主義の進展が家族と個人にもたらした変化、家族崩壊によるリスクなどについて、社会学・政治学・心理学・経済学の知見を基に考察します。最後に、夫婦同姓という伝統的制度がリベラルな価値観の中で個人の自由を逆説的に守る可能性についても論じます。

とりわけ本論では、血縁に基づく家族がもたらす無償の愛や自己犠牲の精神が、国家や市場の論理に対して個人を守る「最後の防波堤」であるという視点を重視します。これは、自由の基盤としての家族という見方であり、単なる保守的反対論ではなく、未来の自由を支える構造として家族制度を再考する試みでもあります。

 

1、家族の防波堤機能

家族とは単なる生活単位や法律上の関係を超えて、個人を社会の不確実性や暴力から守る「防波堤」としての機能を果たしてきた。経済的困窮、精神的危機、社会的孤立などに対して、家族は最も身近で強力な支援ネットワークとなる。特に血縁に基づく家族は、「無償の愛」や「自己犠牲」といった、契約的・制度的な枠組みでは再現できない利他的行動を自然と生み出す場である。

たとえば、親が子どもに対して施す育児・教育・経済的支援の多くは、報酬を求めるものではなく、「我が子だから」という動機に基づく。この関係性には市場的・契約的な論理は入り込まない。また、成人した子どもが老いた親の介護を担う場合にも、同様の非合理的かつ無償の動機がしばしば働く。これらは、たとえ社会制度によって部分的に補われることがあっても、血縁に基づく本源的な絆に比べれば、常に限定的な補完に過ぎない。

このような家族の役割は、個人と国家・企業・社会との関係性において、非常に重要な「中間共同体」として機能している。国家が個人に介入しすぎないようにする緩衝材として、また市場原理から個人の尊厳を守る盾として、家族は自由主義社会の基礎インフラとも言える存在である。とりわけ日本社会では、法制度や文化、価値観の中に「家族重視」の思想が深く根付いており、家族の機能が社会全体の安定性にも直結している。

現代の日本においては、個人の尊厳や多様性が重視される一方で、社会的孤立や精神的健康問題が深刻化している。こうした背景のもと、改めて家族が果たす防波堤としての役割に注目することは、現代的意義をもつ課題である。単に経済的な互助機能にとどまらず、精神的・倫理的支柱としての家族の再評価が求められている。

 

2、夫婦別姓の導入がもたらす影響

2ー1・自由主義における「個人」と「孤立」

近代自由主義の核心は、個人の尊厳、自己決定権、そして国家や他者からの自由の保障にある。とりわけ、リベラリズム(liberalism)は、その発展の中で「個人の権利」を最大限に尊重する方向へと展開してきた。

しかし、このリベラリズムの極致は、しばしば「個人の孤立」という副作用を伴う。トクヴィルが19世紀に予見したように、中間共同体の希薄化は、結果的に個人が「孤立した原子」として国家と直接向き合う状態を生み出す。この状態は、自由の保障というよりもむしろ依存や管理の温床となり得る。

2ー2・家族の「中間共同体」としての意義

この点で、家族という存在は、個人と国家・市場の間に位置する「中間共同体」として極めて重要な役割を果たす。

家族は、法的契約に基づく集団ではなく、血縁や情緒的な絆を基盤とする。ここでは「無条件の愛」「無償の献身」「自己犠牲」が自然に発揮される。これらは、自由主義社会における冷徹な契約原理や利己的合理性とは異なる価値体系であり、まさに人間の根源的な安定を支える非代替的な基盤である。

このような家族の防波堤機能は、特に日本社会において顕著である。日本では、社会的な支援制度の構築が比較的遅れてきた背景もあり、親族や家族によるセーフティネットが長らく機能してきた。実際、戦後の高度経済成長期においても、三世代同居や親子間の扶養関係は、経済的な安定を支える基礎となっていた。

2ー3・血縁に基づく「無償性」と制度的支援の限界

現代においては、社会保障制度や福祉政策の充実により、家族に代わって国家や地域社会が個人を支援する仕組みが広がりつつある。しかしながら、そこには限界がある。

制度的支援は原則として「要件」と「審査」に基づくため、完全な無条件性を持たない。つまり、家族のように「求められなくても与える」無償の行動とは異なり、制度は一定の条件が満たされた場合にのみ支援を提供するものである。

また、行政的支援は画一的で機械的になりがちであり、情緒的なケアや日々の細やかな配慮といった、家族ならではの「心のケア」を代替することは困難である。

2ー4・夫婦別姓がもたらす防波堤機能の希薄化

夫婦別姓の導入は、個人の権利や選択の自由を尊重するという理念に基づいているが、それによって「家族の一体性」が形式的にも心理的にも分断される可能性がある。姓の不統一は、社会的に共有される家族の認識を曖昧にし、子どもにとってもアイデンティティの基盤となる「家族名」の感覚を希薄にする。

名字の統一は、単なる形式ではなく、家族という共同体の象徴であり、集合的アイデンティティの核である。それが失われることで、「私はこの家族に属している」という感覚が弱まり、個人が社会の中でより不安定な立場に置かれる危険性がある。

2ー5・家族を通じた自由主義の防衛

リベラリズムは個人の自由を最大化する思想であるが、その自由は「孤立」ではなく「支えのある個人」によってこそ実現される。家族という中間共同体があることで、個人は社会的・経済的に安定し、国家や市場の圧力に対しても自立した判断ができる余地を持つ。

したがって、家族の一体性、特に夫婦同姓という「象徴的統一性」は、自由主義の敵ではなく、防衛線なのである。選択的夫婦別姓が進めば、家族の「分断」が進行し、それに比例して「孤立した個人」が増加する可能性がある。

自由を真に守るためには、「共同体による支え」を前提とした自由主義の再構築が必要であり、その中核に位置づけられるのが、家族の防波堤機能である。

 

3、夫婦別姓と家族の一体性の関係

3ー1・名字の統一と家族の象徴性

夫婦別姓の制度的議論では、「名字は単なる記号に過ぎず、家族の実質的な絆には影響しない」とする意見が多く見られます。しかし、人間社会において象徴的なものが持つ意味は決して軽視できません。国旗や国家、制服や校章といった象徴が共同体意識を高め、帰属感を生むことは、社会学的にも広く知られています。名字の共有もまた、家族という共同体の内部においてそのような象徴機能を果たしています。

名前は単なるラベルではなく、家族の精神的な一体感を形づくる一助となります。名字を共有することにより、子どもは「この家族の一員である」という明確な意識を持ちやすくなり、また第三者に対しても家族のつながりを可視化することができます。名字が異なることによって、例えば学校や病院で親子関係が分かりにくくなるという実際的な問題も生じる可能性があります。

3ー2・家族の個別化と緩やかな分解

夫婦別姓が導入されることによって家族が直ちに崩壊するわけではありませんが、家族の構造が「個人の集まり」として捉えられやすくなるという心理的・文化的な変化は無視できません。家族構成員がそれぞれ異なる姓を名乗る社会が一般化すれば、「名字の共有=家族の単位」という認識は徐々に希薄化していくでしょう。

また、名字が一致しないことによって親子間や夫婦間の心理的な距離が拡大する可能性もあります。特に子どもにとっては、家庭の安定感や帰属意識が、名字の不一致により揺らぐことも考えられます。日本のように家族のまとまりを重視する文化的土壌では、名字の統一が果たす心理的役割は小さくありません。

3ー3・子どもへの影響と家族の連帯感

夫婦別姓制度が導入されると、子どもの名字をどちらにするかという新たな課題が生じます。これは家庭内での合意形成を難しくし、場合によっては親の姓の選択が「どちらの親の影響力が強いか」といった象徴的な意味合いを持ちうるでしょう。また、兄弟姉妹で名字が異なるような事例も制度的に可能となると、家族内部での一体性や平等感が損なわれるリスクもあります。

名字が異なることで、子どもが「なぜ自分だけ名字が違うのか」と疑問を抱く場面が生じることもあります。こうしたことがアイデンティティの形成や、学校・地域社会での対人関係に影響を与える可能性もあります。家族という枠組みが持つ安定性と一貫性は、特に成長過程にある子どもにとっては極めて重要であり、制度変更の影響は慎重に見極める必要があります。

3ー4・家族名と自由の逆説的関係

名字の共有は、外形的には一見「個人の自由を制限するもの」に見えるかもしれませんが、むしろその背後には家族という中間共同体を強化する働きがあります。前章までに述べたように、家族は国家や市場といった大きな制度に対して個人を守る「緩衝帯(バッファ)」としての機能を持ちます。この緩衝帯が強固であるほど、個人は制度の過剰な干渉から自由を確保しやすくなるのです。

つまり、家族の名前を一つにするという制度設計は、単なる伝統の維持ではなく、個人の自由を制度的に支える「戦略的選択」として理解することも可能です。夫婦同姓制度は、外形的には一様性を押し付けるように見えるかもしれませんが、実質的には個人の自律性と尊厳を維持するための基盤を家族という形で用意する制度とも言えます。

したがって、夫婦別姓制度の導入にあたっては、単に「選択の自由」というリベラルな原則に基づくだけでなく、その制度が中長期的に家族の機能と自由主義の安定にどのような影響を与えるのかを慎重に検討する必要があります。

 

4、​社会的孤立と家族の防波堤機能

近代自由主義の進展は、個人の権利や選択の自由を尊重する一方で、伝統的な家族・地域共同体の弱体化を招きました。その結果として浮かび上がるのが、「社会的孤立」という現代的課題です。とりわけ日本では、未婚率の上昇や単身世帯の増加が進行し、家族が本来果たしていた「最後のセーフティネット」としての役割が危機に晒されています。

厚生労働省の「孤独・孤立対策担当室」資料によれば、コロナ禍を契機として、孤独・孤立状態にある国民の存在が可視化され、官民連携による支援体制が急がれるようになりました。また、2022年の国民生活基礎調査によれば、子どもの貧困率は全体で13.5%、ひとり親世帯では48.1%にのぼるなど、家族機能の崩壊が経済的脆弱性と直結している実態が示されています。

さらに、家族の絆が希薄化することで心理的な支えが失われ、メンタルヘルスの悪化や早期死亡リスクの増加といった問題も指摘されています。英国では2018年に「孤独担当大臣」が設置され、国家戦略として孤立対策が導入されるなど、自由主義社会において家族の崩壊がもたらすリスクは国際的にも共通の課題となっています。

家族という中間共同体が機能している社会においては、個人は国家や市場の直接的な干渉に対して「緩衝材」を持ち、自立した存在でいられます。だがその緩衝材を失えば、個人は裸のまま国家・企業の支配構造に取り込まれやすくなり、結果として自由の喪失へとつながるリスクがあるのです。

従って、社会的孤立を防ぎ、個人の自由を保全するうえでも、家族が果たす防波堤機能を再評価し、その維持・強化を制度的に支援する必要があるといえるでしょう。家族の絆を弱体化させる制度的変更、特に夫婦別姓制度の導入については、その影響を慎重に検討すべきです。

 

5、​夫婦別姓と自由主義的価値の逆説

夫婦別姓制度は一般に「個人の選択の自由を拡大する」ものとして語られます。選択肢が増えることは自由の拡大に資するというロジックは、一見もっともに思えます。しかし本章では、その前提に潜む構造的なリスクについて検討し、夫婦別姓が自由主義社会の根幹を揺るがしかねない逆説的な側面を明らかにします。

5ー1・選択の自由と個人の孤立

現代の自由主義では「選択肢があること」それ自体が善であると捉えられがちです。しかし選択の自由が極端に個人単位で進めば、個人は伝統的な共同体の保護を離れ、結果的に孤立するリスクが高まります。特に日本のように、法制度上・文化的に家族単位を重視してきた社会では、夫婦別姓の導入は家族の一体性を解体し、社会構造の分断を促す可能性があります。

5ー2・法制度の複雑化と国家介入の増加

夫婦別姓制度を導入すれば、子どもの姓の選択、戸籍の管理方法、親権の所在などについて新たな法制度の整備が必要になります。これは単なる自由の拡張ではなく、「家族のあり方を法で決め直す」=国家による介入領域の拡大を意味します。選択の自由を拡大したはずの制度が、逆に国による管理の強化を招くという逆説です。

5ー3・企業・市場の論理への従属

また、家族というセーフティネットが弱体化した場合、個人は国家だけでなく市場にも従属せざるを得なくなります。とりわけ現代社会では、雇用・福祉・教育などあらゆる面で企業依存が進行しています。家族が中間共同体として機能していれば、個人は国家や企業の価値観から一定の距離を保てますが、その緩衝材を失った個人は、企業の論理や国家の政策に無防備にさらされることになります。

5ー4・自由を守るための家族の役割

自由を守るためには、個人単位ではなく「中間共同体を通じて」国家や市場と向き合える構造が必要です。夫婦同姓は、家族を一つの共同体として象徴的に可視化する制度であり、法的・心理的にも結束を高める機能を担っています。したがって、夫婦同姓を維持することは、単なる保守的な慣習ではなく、自由主義を支えるための合理的な制度設計であるといえるでしょう。

 

6、コミュニタリアニズムと家族の価値

1・自由主義とコミュニタリアニズムの対立と接続

自由主義(リベラリズム)は、個人の権利と選択の自由を最大限に尊重する思想であり、現代の民主主義社会の根幹を支える哲学です。一方で、コミュニタリアニズム(共同体主義)は、人間は常に何らかの共同体に所属し、その関係性の中でアイデンティティや倫理が形成されるとする立場を取ります。

この対立構図において、家族は典型的な「中間共同体」として、両者の橋渡しとなる存在です。家族は血縁や生活の共有を通じて、無条件の支えや道徳的規範を育む場であり、同時に個人の自由を支える土台ともなります。つまり、個人の自由の拡大は、共同体の崩壊ではなく、むしろ共同体の安定によって守られるという視点が必要です。

2・血縁と道徳的責任

特に日本においては、「家」という概念を通じて、血縁による連帯意識が文化的にも根強く存在しています。親が子を、子が親を支える倫理的責任は、契約に基づくものではなく、むしろ「自然な情」として内面化されてきました。このような道徳的責任は、単なる法や制度では置き換えられず、血縁という関係性の中でこそ機能するものです。

西洋的な契約型の家族観と異なり、日本の家族観には、暗黙の相互扶助、無償性、持続的責任が前提としてあります。これはある意味で、家族という共同体が「制度化されない道徳」を内包していることを意味します。

3・家族の公共的意義

家族の価値を単なる私的領域に閉じ込めるのではなく、社会的・公共的意義として捉え直すことも重要です。教育、福祉、介護など、国家が直接すべてを担うには限界がある場面で、家族が果たすケアの機能は不可欠です。

特に現代日本のように高齢化や少子化が進行し、社会保障制度の持続性が問われる中で、家族の自律的な支え合いは「補完的な社会資源」として再評価されています。これは単なる道徳の問題ではなく、持続可能な社会構造の問題でもあります。

 

7、夫婦別姓と国家・市場の関係

1・夫婦別姓と個人の国家・市場への直接接続

夫婦別姓は「個人の選択の自由を尊重する制度」として議論される一方で、その制度的効果として家族の一体感や統合性が損なわれる可能性があります。家族の構成員が同じ名字を持つことは、単なる形式ではなく、象徴的な「共同体意識の表現」であり、社会的に「一つの単位」として扱われやすくなるため、家族という緩衝帯の存在を強めます。

この一体性が弱まると、個々人が国家や市場と「直接的に接続」される構造が進みます。つまり、家族という中間的なクッションを介さずに、国家の制度や企業の仕組みに直結する社会関係が生まれやすくなるのです。

2・家族という緩衝帯の喪失とリスク

家族は、国家や市場の過剰な介入から個人を守る「防波堤(バッファ)」として機能してきました。子育てや高齢者の介護、生活の困難への対処など、国家制度が万能ではない領域で、家族は自律的な共同体として補完的な役割を果たしてきたのです。

しかし、夫婦別姓をはじめとした家族制度の個別化が進むと、個人がこうした緩衝帯を失い、国家による監視や福祉制度への依存、あるいは企業による従属的労働への傾斜が強まる可能性があります。これは結果的に、自由を守るどころか、より構造的な制約を個人に与えることになりかねません。

3・企業共同体化と自由の喪失

日本社会では、高度経済成長期以降、企業が「もう一つの家族」のような役割を担う形で機能してきました。終身雇用や社宅制度、企業内保育など、企業が生活基盤を提供する形で個人を支えてきたのです。しかしこれは、企業への過剰な依存を生み出し、「企業による生活支配」という新たな不自由を招く結果にもつながりました。

本来、家族が果たすべき支え合いの機能を企業に委ねてしまえば、個人は企業から離れる自由を失い、生活の根幹を支配されるリスクを抱えることになります。つまり、家族の弱体化は、市場の論理が家庭生活にまで侵入する構造を招き、真の意味での個人の自由を損なうのです。

 

8、夫婦同姓は自由主義の防衛である

1. 自由主義の本質とその脆弱性

自由主義は、個人の選択の自由や自己決定権の尊重を基本理念とします。しかし、個人が完全に孤立した存在となると、その自由は実際には非常に脆弱なものになります。経済的困窮、精神的孤独、社会的排除などの問題に直面したとき、支えとなる中間共同体がなければ、個人は国家や企業に過度に依存するほかなくなり、本来の意味での「自立した自由」を保つことが困難になります。

自由を本質的に守るためには、個人が安心して生きるための土台となる「小さな共同体」が必要であり、その最小単位こそが家族であるという視点が不可欠です。

2. 家族の一体性がもたらす心理的・社会的安定

夫婦同姓は、家族をひとつの統合的な単位として社会的に可視化し、心理的にも強固な絆を持たせる象徴的な制度です。名字の統一は、共同体意識や帰属意識の形成に寄与し、家族内の信頼関係や役割の明確化にもつながります。

これは単なる「慣習」ではなく、社会的安定や心理的安全を支える基盤となるものです。名字の共有は、子どものアイデンティティ形成や、夫婦・親子の関係性の持続においても肯定的に働く要素とされています。

3. 名字の統一が果たす象徴的機能

名前は、個人の存在を社会に認識させる「ラベル」であると同時に、集団における結びつきの象徴でもあります。国家には国旗があり、宗教にはシンボルがあるように、名字の共有は家族という単位における「象徴の一体化」です。

夫婦別姓によってこの象徴性が失われれば、家族が単なる契約的集合体へと変化し、帰属意識や相互扶助の精神が希薄になる恐れがあります。家族の絆を「法的・象徴的に」支える制度が夫婦同姓である以上、それを手放すことは自由主義的社会の土台を崩すことにもつながりかねません。

4. 「自由を守るために家族を守る」という逆説的真理

現代は、自由を掲げながらも個人が孤立し、自由を活かせない状況に陥る「自由の逆説」に直面しています。このような状況において、家族という無条件の信頼と愛の共同体を制度として守ることは、むしろ自由を保持するために必要な戦略的選択なのです。

夫婦同姓の制度は、単に伝統を守るという保守的な姿勢ではなく、「自由を守るための合理的な装置」であると位置づけるべきです。家族を強めることが、結果として国家や企業からの過剰な介入を防ぎ、個人の内面的・実質的自由を保障するという構図を、改めて評価すべき段階に来ているのではないでしょうか。

 

9、自由主義と家族制度の理論的統合

1. 自由主義と共同体主義の対立構図を超えて

夫婦別姓に関する議論は、しばしば「自由主義(リベラリズム)」と「共同体主義(コミュニタリアニズム)」という哲学的対立構図の上に置かれます。前者は個人の選択や権利の尊重を重視し、後者は社会的・文化的な共同体の価値や連帯を基礎に置きます。

しかし、この二項対立は必ずしも絶対的なものではありません。むしろ、家族という中間共同体が存在することによって、自由主義が前提とする「自立した個人」を支える土壌が整うという、理論的な接続可能性が存在します。つまり、自由と共同体は相互排他的なものではなく、相補的な関係にあると理解すべきです。

2. 家族という「倫理的土台」と自由の共存

自由主義は、形式的・法的な自由だけでなく、実質的に選択可能な環境の整備も要請します。家族は、衣食住や情緒的支えを提供することにより、個人が自由に意思決定を行える土台を提供します。

さらに、家族という制度の中で育まれる責任感、自己抑制、共感といった道徳的感覚は、自由主義社会の前提条件である「他者の自由を尊重する市民性」の基礎ともなり得ます。このように、自由を実現するためには、倫理的基盤としての家族が不可欠なのです。

3. 憲法と制度の観点からの補強

日本国憲法第24条は「個人の尊厳と両性の本質的平等」を掲げつつ、婚姻・家族生活における制度的保護を認めています。この条文は、個人の権利と家族制度の価値を並立的に認めるものであり、両者を調和させる立場を採っています。

また、近年の政策でも、家庭教育支援法案や地域共生社会づくりの動きなど、家族の役割や家庭における連帯の価値を見直す方向性が見られます。これらは、家族が個人の自由と社会的安定をつなぐ要として、再び制度的な意味を持ち始めている証左とも言えます。

 

結論

本論文では、「家族の防波堤機能」と「自由主義の防衛」との関係を、理論的背景と実証データの双方から検討してきました。家族は、歴史的に個人と国家・社会の間に立つ中間共同体として、物質的・情緒的な支えを提供し、個人を孤立から守ってきました。

自由主義の進展は、個人の解放と選択肢の拡大を促した一方で、個人を孤立させ、家族や地域共同体といった防波堤を弱体化させる側面も持っています。特に夫婦別姓の導入は、一見「選択の自由」を拡大するものと見なされがちですが、長期的には家族の結束を損ない、結果として国家や市場の論理に個人が直接晒されやすくなるリスクを孕んでいます。

さらに、血縁に基づく無条件の愛や自己犠牲の精神といった、制度や契約では代替しえない家族の特性は、国家の制度設計では再現困難なものであり、自由主義的社会の持続可能性にとって不可欠な土台であることが明らかになりました。これらは、一人ひとりの自由を可能にする「環境条件」としての家族の価値を再評価する必要性を示しています。

また、北欧型福祉国家との比較を通じても、たとえ公的支援が充実した国においても、家族の情緒的役割や倫理的責任が不要になることはなく、むしろ制度と家族との「協働」が安定社会の鍵であることが浮き彫りとなりました。

最後に、「夫婦同姓」は単なる伝統の問題ではなく、自由主義社会における個人の防衛線としての家族制度を保持する象徴であると位置づけられます。**「自由を守るために、家族を守る」**という逆説的だが本質的な論理は、現代社会においてますます重要性を増しています。

この論考が、日本社会における家族制度の再評価と、真の意味での個人の自由を支える社会構築の一助となることを願ってやみません。

 

 

#選択的夫婦別姓 #反対

 

 

【参考文献一覧】

内閣府『孤独・孤立対策に関する調査報告書(令和4年版)』

厚生労働省『国民生活基礎調査(2022年)』

厚生労働省『メンタルヘルス対策に関する調査』

Robert D. Putnam『Bowling Alone: The Collapse and Revival of American Community』
 (邦訳:『孤独なボウリング』)

英国政府『A Connected Society: A strategy for tackling loneliness』(2018年)

Zygmunt Bauman『Liquid Love: On the Frailty of Human Bonds』

アレクシ・ド・トクヴィル『アメリカのデモクラシー』

CEPR(欧州経済政策研究センター)「Family Policy and the Origins of the Welfare State」

JSTAGE『家族と孤立に関する社会学的研究』

CIRNII(国立情報学研究所)論文データベース

 

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著者

星野 しょう

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