2026/8/21
| 小森さだゆき | 高槻市議会議員
私たちは今、歴史上かつてないほど「自由」な社会を生きています。身分制度はなく、職業も、どこに住むかも、誰と生きるかも自分で決めることができます。しかしその一方で、現代社会には目に見えない息苦しさや、常に何かに追われているような不安が漂っていると感じることはないでしょうか。
この「自由なのに、なぜか生きづらい」という矛盾の正体を、80年以上も前に見事に解き明かした名著があります。それが、ドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロムが1941年に著した『自由からの逃走』です。
フロムは、人間が抑圧やしがらみから解放される歴史(=自由の獲得)を肯定しつつも、そこには大きな罠があると指摘しました。それが自由の二面性です。
中世の社会では、人々は生まれた瞬間に身分や職業が決まっており、個人の自由はありませんでした。しかし、それは裏を返せば「社会の中に自分の居場所が絶対的に保障されていた」ということでもあります。地域や宗教、共同体という固い殻に守られていたため、根無し草のような不安を感じることはありませんでした。
近代化によってその殻が破られ、人々はしがらみから解放されました。これを受動的な自由(からの自由)と呼びます。しかし、自由になった個人は、社会の中で「たった一人の孤立した存在」として放り出されることになりました。自らで決断し、その結果の責任をすべて一人で背負わなければならないという、圧倒的な無力感と孤独に直面したのです。
フロムは、人間はこの孤独と無力感という重圧に長くは耐えられないと考えました。そして、不安から逃れたい一心で、せっかく手に入れた自由を自ら投げ捨て、別の何かに依存しようとする心理が働きます。これこそが、本書のタイトルである「自由からの逃走」の本質です。
フロムは、当時のドイツ国民が自ら進んでナチスという全体主義・独裁政権を支持し、権力に服従していった背景を分析しました。これらは決して過去の歴史の話ではなく、現代のSNS社会や組織、日々の人間関係にも驚くほど形を変えて現れています。
強い力を持つ存在に自分を完全に服従させる、または他人を支配して一体感を得ようとする心理です。
◆ 現代における例:強力なリーダーへの盲信、過度な組織への依存、上下関係を利用したハラスメント行為
自分が太刀打ちできない外の世界や、自分を脅かす存在を攻撃し、消し去ることで不安を解消しようとする心理です。
◆ 現代における例:インターネット上における特定の個人や企業、異なる意見を持つ他者への過度なバッシング
自分の思考や感情を捨て、周囲や世間の流行に完全に合わせることで「みんなと同じ」という安心感を得る心理です。
◆ 現代における例:「空気を読む」ことを最優先する風潮、SNSでの承認欲求、独自の意見を持たず多数派に同調する姿勢
特に「自動人形的画一性」は、現代の日本社会を生きる私たちにとって最も身近な危機ではないでしょうか。自分の頭で考えることを放棄し、マスメディアの報道やネットのトレンド、周囲の顔色にただ同調することは、心理的には「自ら進んでロボットになり、自由を放棄している」ことと同じなのです。
では、私たちはこの不安や孤独に負けず、どうすれば自分らしく自由であり続けることができるのでしょうか。フロムが提示した唯一の解決策は、「自発的な活動」です。具体的には、それを「愛」と「仕事(創造的な活動)」という言葉で表現しています。
誰かに強制されるのでもなく、周囲に盲従するのでもない。自分自身の内なる声に従って主体的に思考し、自分の言葉で表現し、他者や地域社会と深く、誠実につながること。結果だけを求めるのではなく、自発的に行動するプロセスそのものに没頭するとき、人は孤独を克服し、自立した個人として生きることができます。これこそが、フロムの言う能動的な自由(への自由)です。
地域の政治や社会課題に向き合うときも、全く同じことが言えます。お上任せ、誰か任せの姿勢は、一見楽なように見えて、自らの未来を決定する自由を放棄することに他なりません。課題に対して一人ひとりが「自分の問題」として主体的に考え、議論し、行動を起こしていくこと。その積み重ねこそが、健全な地域社会をつくり、私たち一人ひとりの尊厳を守ることにつながります。
情報が溢れ、周囲の目が気になりやすい現代だからこそ、私たちは一度立ち止まり、自らの足でしっかりと立ち、主体性を取り戻していく必要があるのでないでしょうか。
| 小森さだゆき | 高槻市議会議員
この記事をシェアする
ホーム>政党・政治家>小森 さだゆき (コモリ サダユキ)>エーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』