2026/8/20
| 小森さだゆき | 高槻市議会議員
歴史を紐解くと、長く繁栄した政権や組織には、必ず共通する「統治の理念」が存在します。260年以上の長きにわたり泰平の世を築いた徳川幕府(江戸幕府)。その根底にあった最重要の政治姿勢の一つが、「撫民(ぶみん)」という思想です。「民を大切にする」と言葉で言うのは簡単ですが、徳川幕府における「撫民」は、単なる道徳的な理想論ではなく、国家を存続させるための極めて合理的で現実的な知恵でした。今回は、この「撫民」の本質と、現代の政治にも通じるその意義について考えてみたいと思います。
「撫民」の「撫」という漢字には、「なでる」「いたわる」「安心させる」という意味があります。すなわち、武力や恐怖、あるいは過度な強制力によって民衆を力づくで抑え込むのではなく、「人民をいたわり、なだめ、育てることで、社会の安定と秩序を保つ」という政治理念です。
江戸時代の武士は、戦国時代の荒々しい武者から、平和な時代を治める「官僚(政治家)」へと脱皮を求められました。その思想的バックボーンとなったのが儒教(朱子学)です。「上に立つ者は、徳をもって民をいたわる政治(仁政)を行わなければならない」という教えが、武士の義務であり責任として叩き込まれました。
学校の歴史教科書などで、江戸時代の農民支配を表す言葉として「百姓は生かさぬよう、殺さぬように」という言葉を耳にしたことがあるかもしれません。これを聞くと、「幕府は農民を極限まで搾取しようとしたのではないか」という冷酷な印象を受けがちです。
しかし、近年の歴史研究では、この言葉の捉え方が変わってきています。当時の幕府や藩にとって、農民が破産して田畑を手放したり、飢きんで倒れたりすることは、国家の財政基盤(年貢)そのものが崩壊することを意味しました。つまり、「生活が崩壊しないように徹底して保護し、自立して生産を続けられるように育てる」ことこそが、幕府の最大の危機管理であり、これこそが「撫民」の具体的な実践だったのです。
徳川幕府や各藩のリーダーたちは、実際に以下のようなシステムや政策を通じて「撫民」を実行しようとしました。
| 政策の種類 | 具体的な内容と目的 |
|---|---|
| 災害・飢きん対策 | 凶作の年には年貢(税金)を免除・減免し、飢餓を防ぐために「お救い米」や救済金を支給して民の生活の底割れを防いだ。 |
| 民意の反映(目安箱) | 8代将軍・徳川吉宗が設置。庶民の生の不満や提案を直接トップが受け取る仕組みを作り、医療施設(小石川養生所)の設立などに繋げた。 |
| インフラ整備と治水 | 民の暮らしと経済を支えるため、河川の氾濫を防ぐ大規模な治水工事を行い、新田開発をサポートして地域社会を豊かにした。 |
江戸時代の「撫民」が教えてくれる最大の教訓は、「民の生活を安定させることが、結果として国家や地域社会を長く存続させる一番の近道である」という事実です。これは現代の政治や行政、あるいは組織経営においても全く同じことが言えます。
人々の暮らしが困窮し、将来への不安が広がれば、社会の活力は失われ、コミュニティの維持すら困難になります。今、私たちが直面している様々な課題に対しても、小手先のパフォーマンスではなく、生活の現場に寄り添い、人々が安心して働き、暮らし、次世代を育てられる環境を整えること――これこそが、現代に求められる「撫民」の精神ではないでしょうか。
歴史の知恵を学びながら、真に地域に根ざした、安心できる社会づくりに全力を尽くしてまいります。
| 小森さだゆき | 高槻市議会議員
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