2024/5/8
こんにちは。兵庫県川西市議会議員の長田たくや(ながたく)です。
強行可決で話題の「LGBT理解増進法」について、今日は同性愛に関する歴史的背景のお話をします。
・前編(歴史)同性愛の歴史(本記事)
・中編(法律)LGBT理解増進法の中身を紹介
・後編(事例)トラブル事例を紹介
【お話の流れ】
・日本と西洋の同性愛史
・日本の法規制と廃止
・女性同性愛の歴史
私は、この法律は日本においては不要だと考えています。なぜなら、日本ではLGBTであることを理由に、命が奪われるほどの迫害や深刻な差別が歴史的に存在していなかったからです。一方、ヨーロッパ諸国では、かつて深刻な迫害が行われていたため、法律で保護せざるを得なかった背景があります。
このテーマは、2023年6月議会や市政報告会でも取り上げました。今回はその前編として、同性愛の歴史を整理してご紹介します。
参考:2023年6月市政報告会資料
■ 日本における同性愛の歴史
『日本書紀(720年)』や『万葉集(759年)※』に、すでに男色に関する記述があったのです。社会の表舞台に登場したのは平安時代で、藤原頼長の日記には貴族社会における男色関係が記録されています。
その後、鎌倉・室町時代には僧侶の間で男色が存在し、江戸時代ではさらに流行しました。あの徳川家光や綱吉などにも男色の記録が残っているのです。
※桜花今ぞ盛りと人は言へど我れは寂しも君としあらねば
参照:日本古代の"男同士の絆" (奈良文化財研究所より)
■ 男色にも2種類あった
江戸初期、井原西鶴は『男色大鑑』において、男色を二つの形態に分類しています。
●武士道型(若衆道)
年長者(念者)と年少者(若衆)の間で、肉体関係だけでなく精神的な結びつきを重視する理念的関係。
●芸能型
歌舞伎役者(特に女形)による売春が行われ、女形は女性以上に女らしいとされ、当時の女性のファッションリーダー的存在。
しかし、性におおらかな時代も江戸末期には収束し、幕府による売春禁止や西洋化の進展によって変化していきました。

■ 西洋での同性愛観
(旧約聖書『創世記』19章、ソドムの街での逸話)
神ヤハウェの使いである天使2人(男性)が、『ソドム』という街にいたロトのもとを訪れました。するとソドムの大勢の男たちが、「美しい天使をなぶりものにしてやるからよこせ!」と、ロトの家につめかけました。ロトは「自分の娘を差し出すから勘弁してくれ」と諭しましたが、男どもは「あかん!」と暴れ狂いました。
その行為が神の怒りを買い、ソドムの街は火の海となったのです。ロト一家は天使よりソドムから逃げるように言われ、同時に「絶対に後ろを振り向いてはいけない」と忠告されました。しかし、ロトの奥さんが云いつけを破ってしまい、罰として塩の柱にされてしまいました。
(これが塩分が33%もある死海の元ネタ)

プロイセン(現在のドイツ北部を中心とする地域)では、同性愛を「自然に反する淫行」として刑罰の対象とし、絞首刑に処することもありました。これがソドムの街から名付けられた『ソドミー法』の原点と言われています。
1869年、カール・マリア・ケルトベニーが『同性愛(Homosexualität)』という言葉を初めて用い、「同性愛は生まれつきであるため刑法の対象にすべきでない」とドイツ帝国刑法草案第175条(ソドミー法)に反対しました。
その後、クラフト=エビングが著書『性的精神病理』(1887年)において、同性愛を「変態性欲」の一種、つまり病気であると定義づけしました。1913年、この概念が日本にも翻訳され伝わったのです。
■ 日本でも同性愛が罪となった
1873年(明治6年)に「鶏姦罪」が制定され、日本でも懲役刑が科されました。これは、合意のある男性間性交でも適応され(最長90日)、強姦の場合は懲役10年とされました。これは海外を見習って法律が作られたました。もう少し経緯を詳しく説明します。

■ 鶏姦罪制定の経緯
1872年、熊本県で男色による学生の風紀乱れが問題視され、司法省にSOSが寄せられたのです。当時の司法省には熊本藩出身者が多く、清国法を研究していたことから、清国の法を参考に鶏姦罪が導入されたそうです。
(漫画見たいな展開)
しかし、適用例は年に数件と少なく、1882年に政府が雇っていたフランス人法律顧問ボアソナードが、「鶏姦や獣姦は刑法で処罰するようなものではない」と主張し、鶏姦罪は廃止となりました。フランスでも合意の上での同性愛は処罰対象ではありませんでした。
(いや、獣姦はいかんでしょ)
つまり日本における同性愛については、海外のそれとは捉え方や考え方が全く異なっていることがわかりますね。
■ 男をめぐる男の戦い!?
鶏姦罪廃止後の1899年、東京日々新聞より、「15歳の美少年をめぐって学生集団が決闘騒ぎを起こす事件」が報じられました。
また、東京には「白袴隊(びゃっこたい)」と呼ばれる集団がおり、美少年を見かけると後をつけ、性的関係を結んだ後に仲間に引き入れるという事例も伝わっています。
(そんな時代もあったのですね)
参照:少年たちを襲い、東京中を恐怖させた迷惑集団「白袴隊」とは?
女学生同士の恋愛が注目されたのは、明治末期から大正期にかけてです。
1911年、新潟県の親不知海岸での女学生同士の心中事件をきっかけ、教育現場で問題視されるようになります。この頃の女学校では良妻賢母教育が主流でした。夫以外の男性に愛情を注ぐことを厳しく禁止されており、女学生たちも自ら進んで精神的な純潔に価値を見出していた文化的背景があったそうです。
(純潔な故に、死を選んだと…)
教育機関では、女性同士の友情と恋愛の区別な困難な事例が多く、既存の「男色」や「鶏姦」といった概念では説明できなかったのです。女性同士の関係は必ずしも肉体交渉が伴うことがなかったため、性欲概念とは異なる形で認識されていました。そのため、男色のように歴史的に法律や事件などで表に出てくることがほとんどなかったのです。
■ 現在では1つのジャンルに
1976年創刊の『薔薇族』(男性同性愛向け雑誌)に対し、女性同性愛を扱うコーナーに純潔・清らかなイメージである『百合族』という呼称が使われました。
現在では、男性同士は「ボーイズラブ:BL」で、女性同士は「ゆり」として創作物のジャンルの1つとなり、『ゆるゆり(軽いノリ)』から『ガチゆり』まで幅広いコンテンツになっていますね。
(私も『ゆるゆり』というアニメが好きでした^^)
同性愛の歴史はいかがでしたでしょうか?私もLGBT理解増進法がなければ調べようともしなかったことです。勉強にはなりましたが、少なくとも日本では「法律にしない方がいいよ」という結論は変わりませんね。
参照論文:歴史の中の多様な「性」
参照論文:鶏姦罪について
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
素敵な1日でありますように。
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