2026/9/13

2024年、サウジアラビアが「国家バイオ戦略」を発表しました。 このニュースを聞いて、多くの人はこう思ったのではないでしょうか。「石油の国が急にバイオをやり始めたの?」
しかし、これは完全に誤解です。 サウジアラビアはこの20年、静かに、そして執拗に研究基盤を積み上げてきました。 その延長線上に、2024年の国家バイオ戦略があります。
一方、日本はどうでしょう。 再生医療、遺伝子治療、iPS細胞-華やかな言葉に飛びついてきましたが、 バイオ産業は“近道”では育ちません。
この記事では、 サウジアラビアと日本の投資規模・産業構造・人材・教育・国家としての覚悟の差 を、数字と事実で比較します。
2024年、ムハンマド皇太子が 「National Biotechnology Strategy」 を発表しました。戦略の柱は以下の4つ。
ここまでは「よくある国家戦略」に見えます。 しかし、サウジアラビアの本気度はここからです。
サウジアラビアの投資の中心は PIF(Public Investment Fund)。 その運用資産は 約9,000億ドル(140兆円)。
日本の国家予算(一般会計)が約120兆円ですから、 「国家予算級の資金を産業投資に使えるファンド」 を持っていることになります。
さらに研究基盤の中心である KAUST(King Abdullah University of Science and Technology、2009年設立)は 100億ドル(1.5兆円)基金 を持ち、 世界中から研究者を引き寄せてきました。
2024年の国家バイオ戦略では、 「複数年で数十億ドル規模の投資」 が国際報道されています。
つまりサウジアラビアは、 「お金で産業を作る」という戦略を真正面からやっている国です。
日本では、大学10兆円ファンドが設立されましたが、あれは10兆円を運用して出た数%の運用益を研究に回す仕組みです。ちなみに2025年度の運用益はおよそ3000億円。そのうち国際卓越大学に認定された東北大学に169億円、東京科学大学に124億円助成されました。一方のサウジアラビアは 元本そのものを産業に突っ込む。 比較すること自体が無理筋な規模です。
サウジアラビアのバイオ戦略は突然始まったわけではありません。
この20年で、サウジアラビアは「研究者を呼べる国」になりました。 しかし、研究者を集めても、産業は育たない。 研究は“論文”を作る。産業は“製品”を作る。この差は、想像以上に大きいのです。
コロナ禍で、自国でワクチンを開発・製造できた国は以下の国だけです。
日本は入っていません。
日本の国産ワクチン承認は 2023年。 世界がワクチンを打ち終わった頃に、ようやく承認です。これは日本の製造基盤の弱体化を象徴しています。
日本は山中先生のノーベル賞で、 「再生医療なら日本が世界をリードできる」 という幻想を抱きました。もちろん再生医療への投資が悪いわけではありません。 継続して投資すべき領域です。しかし、ほぼ全振りしたことが問題だったと私は思っています。
その裏で、
という現実が進んでいました。
ここで少し、私自身の経験から話します。
低分子創薬は、候補化合物を見つけるまでがとにかく大変です。 時間もお金もかかる。 一方、再生医療や遺伝子治療、抗体医薬は候補品を得るまでの道のりは比較的早く、費用も安く済みます。
しかし低分子創薬は「見つけるまでが大変」だが、製品化は圧倒的に効率がいい。
つまり低分子は、 “見つけるまでの負担は重いが、製品化に向けて開発を始めると強い” モダリティです。翻って、抗体医薬・遺伝子治療・再生医療はどうか。候補品を見つけるのは比較的容易。製品化が地獄。
製造設備は高額、製品規格の設計も大変、品質管理は複雑、 そして何より 製造コストが高すぎる。
今の日本の大学は、 抗体医薬や再生医療、遺伝子治療の“候補品を見つけるところまで”をやって、 それを製薬企業にライセンスして収益化しようとしています。しかし製薬企業側からするとこうです。
「いや、そこからが一番大変なんだよ」
低分子より候補品の見極めに時間がかかる。 製造プロセスはゼロから作らないといけない。 規制はグレーで、将来どうなるか読めない。だから、 ディールが成立しにくい。研究側と産業側の思惑が完全にズレている典型例です。
日本はこの30年で、 教育制度の変更により基礎学力が確実に低下しています。
「昔の学士が今の修士くらいの学力だった」 これは現場の共通認識です。
そして世界的にも、 豊かな国ほど理系を選ばなくなる傾向があります。
欧米もそう。 中国やインドも、都市部の富裕層は理系を避けます。 理系技術や産業を支えているのは地方出身者や移民です。中国が医薬品研究開発のハブになりつつあるのは、 圧倒的な理系高度人材のプールがあるからです。インドも同じです。
日本はどうでしょう。 理系人材の供給は細り、教育の質は落ち、製造現場の人材は高齢化しています。
サウジアラビアvs 日本:バイオ産業の構造比較表
| 項目 | サウジアラビア | 日本 |
|---|---|---|
| 戦略の起点 | 国家主導(Vision 2030) | 科学的ブレイクスルー(iPS) |
| 資金力 | 非常に大きい(PIF等) | 中規模(AMED等) |
| 研究基盤 | KAUST中心に整備 | 大学・国研は強い |
| 製造ノウハウ | ほぼゼロから構築 | 低分子・ワクチンは縮小 |
| 人材 | 外部招致中心 | 国内教育の質低下 |
| 課題 | 商業化の遅れ | 製造基盤の弱体化 |
| 共通点 | 新モダリティに期待 | 同じく近道志向 |
ここで注目すべきは、日本が今持っている医薬品製造の基盤は、サウジアラビアの巨額投資に匹敵する国家資産であるということです。なぜなら、日本がこれまで積み上げてきた医薬品製造ノウハウは、何十億ドル投じても短期では絶対に手に入らないからです。
サウジアラビアがどれだけ資金を投入しても、
これは 買えない。つまり、
という構造です。
以前のスペースで、私が現在働いているインド企業が製造プロセスの最適化にAIシミュレーターを使っている話をしましたが、 こうしたAIシミュレーターが導入できるのは、 これまで培ってきた製造ノウハウがあるからこそです。
最後にまとめです。
そして今日の核心メッセージはこれです。
日本が持っている製造ノウハウは、サウジアラビアが何十億ドル投じても短期では絶対に手に入らない国家資産であるということです。産業は「近道」では育ちません。 積み上げこそが、医薬品産業の競争力を支える唯一の道です。
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