2022/9/21
みなさん、いつも大変お世話になっております。
五十嵐りょうです。
今回はシリーズ第2回として、高校・大学の学生時代について書いていきます。
高校は長岡大手高校に進学をしました。
短い時間でしたが、電車に乗って長岡まで行き学校まで通っていました。初めの頃は新鮮に感じましたが、その気持ちも段々と薄れていきます。
部活動も当初は陸上をしていましたが、人間関係や体調の関係もあり続けることをしませんでした。
そこからは塾に通うなど、勉強を中心に過ごす高校時代だったように思います。
高校時代では3年間の行事や様々な出来事もありましたが、印象的なのは体育の授業でした。
厳しい体育だということは薄々聞いていましたが、実際その授業を受けてみるとその意味が分かりました。
今でも大手の同級生たちと話すと、厳しかった話も出ます逆にそれがいい思い出のようにもなっています。

大学は東京の拓殖大学へと進学をしました。
センター試験の結果が振るわず国公立受験が叶わず、私立も一般受験をしたところは不合格が続き、滑り止めとしてセンター利用で受験していた拓殖へ合格できました。
ただ、思い返すとこの進学が私の人生にとって大きなターニングポイントになっていると思います。
学校では政経学部に入り、法律政治学科で政治を中心に学びました。元々は学校の教師になりたい夢がありましたので、教職課程も履修していました。
ゼミや履修している授業は政治や経済、地方について学ぶことが多かったです。
ゼミでは、いろいろな地域の人たちが少人数で活動するため、いろいろな地域の話を聞くことが出来たりもしました。
政治ゼミで他大学とのディベート大会などに参加したりもしていたこともあり、準備等で3,4年時は多くの時間をゼミの仲間たちと過ごしていました。
これらの時間も大学時代においては、かけがえのない時間になっています。

いろいろな体験の中から、離れた場所から地方を見て、見附市や新潟県について意識をすることが大学時代から特に増えていくようになりました。
そのようなことが、私が政治を具体的に考えていく1つのきっかけになっていったかもしれません。
仕送りだけでは自由に使えるお金もないですし、一つの人生経験にもなると思いバイトを始めました。バイトは将来の教師になる夢の糧になるようにと、塾講師のバイトを始めました。ここでは、今までの社会人での経験に引けを取らない程の経験をさせてもらいました。バイトではありましたが、生徒の人生を左右するような大事なお手伝いをさせてもらいました。生徒と授業で向き合い、保護者とは面談等でコミュニケーションを取り、様々な経験をこの4年間でさせてもらいました。
この時にも、今でも仲良くさせてもらい、これからも長い人生の中で付き合いをさせてもらう先輩や同級生にも巡り会えました。

学業やバイト、私生活全般を振り返っても、大学生活はとても充実した時間を過ごしていました。
教員免許も取得でき、新潟県の教員採用試験を受験しましたが合格は出来ませんでした。
採用試験と並行して、東京や新潟での就活も進めており、数社の内定をもらっていました。その時は、このまま東京で就職して過ごしていくか、Uターンするか大学院へ行ってもっと勉強しようかなどいろいろと悩みました。
しかしこの後、私の人生は大きく変わっていくことになりました。
私が入っていたゼミの先輩に現役の地方議員が何人もおられて話を聞く機会を沢山いただきました。そして、同郷で大学の大先輩だった自民党政調会の田村重信氏さんとのご縁をいただいたことが政治の世界に入っていくことに繋がっていきました。
田村さんの勉強会にお邪魔させていただいている中で、あるお話をいただきました。
それが、「元文部科学大臣の下村博文代議士が秘書を募集しているけど、国会議員の秘書に興味ありますか」というものでした。
進路のことでどうするかなどいろいろと悩んではいましたが、このような機会はないと思い、紹介していただき面接を受けました。
そして結果は、卒業後に秘書として採用をしていただきました。
卒業まではインターンとして、国会の下村事務所でお世話になり、春から秘書として働くことになりました。
長くなってしまい申し訳ありません。
ここまで読んでいただいた皆様、誠にありがとうございます。
次回は5年間という短い期間ではありますが、社会人のことについて綴っていきます。
次回もよろしくお願いいたします。
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