2022/9/30
荒川放水路の開削事業 平井・小松川地区が江戸川区の理由(金井たかしの「江戸川区情報」)(筆者金井たかし(高志)のプロフィール)
私は筋肉トレーニングが趣味なのですが、先日、平井地区に新しいフィットネスジム(パーソナルジム)が開設されたので、パーソナルトレーニングを受けるために訪問してきました。現在住んでいる北葛西・船堀地区から船堀橋を渡り平井地区に行ったのですが、この平井地区そして小松川地区について「荒川で江戸川区の本体の地域から分断されているのに、どうして江戸川区なのですか?」という疑問を持たれる方がいます。そこで、今回は、平井地区・小松川地区がどうして江東区ではなく江戸川区に所属しているかを解説することにします。また、このテーマについては、私のインターネットラジオ「江戸川区が簡単にわかる!チャンネル」第2回(2022年9月25日配信開始)でも解説しています。

まず、この疑問に答える根本的なことは、現在の荒川(荒川放水路)が自然の河川ではないということ、また、いつ人工の河川として開削されたかということです。
そもそも、江戸時代には江戸の市街地を守るために荒川(現在の隅田川:現在の隅田川は荒川放水路ができる前は「荒川」という名称でした)の上流に日本堤や墨田堤という堤防が作られました。これにより江戸のまちは守られましたが、荒川の上流では長い間、洪水と闘うことになったのです。そこで、明治43年の大洪水の洪水被害を契機として、荒川(荒川放水路)が計画されたものです。このあたりの事情は、荒川下流河川事務所「荒川の概要と歴史」に記載されています。
明治44年(1911)に荒川放水路事業が始まり、隅田川に堤防がなくても洪水が氾濫しないことが目指されました。荒川放水路は、工事中における風水害や関東大震災等による工事の遅れがありましたが、昭和5年(1930)に完成しました。「江戸川区の歴史と風景写真 江戸川フォトライブラリー」「荒川(荒川放水路)の歴史と風景 旧岩淵水門と荒川河口」では、現在の江戸川区の地域において、荒川放水路が開削された場所が地図上で示されており、現在の江戸川区の地域(平井地区・小松川地区)が荒川放水路で分断された事情が分かります。
このように現在の江戸川区の地域において、1914年(大正3年)4月1日 に 荒川放水路設置に伴う町村再編により、荒川放水路により分断された小松川村と船堀村の各放水路以西、そして平井村の放水路以南が合併して小松川町が新設されました。昭和7年に江戸川区が誕生する際に、分断された村(小松川村・船堀村)と平井村で構成された小松川町は江戸川区の本体側からは分断されているのですが、現在の江戸川区に含まれることとなったものです。
このような歴史的な経緯があるために、平井地区・小松川地区は、現在の江戸川区の本体とは荒川放水路を挟んでいるのですが、江戸川区に含まれているのです。(筆者金井たかし(高志)のプロフィール)
弁護士 金井たかし(金井高志)
(江戸川区在住 弁護士 武蔵野大学[江東区]法学部・大学院教授)
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