2022/5/21
江戸川区「春江」の地名の由来(金井たかしの「江戸川区情報」)
私は江戸川区の瑞江地区で小学校(下鎌田小学校)時代や中学(瑞江第三中学校)校時代は過ごしましたが、瑞江の隣は春江町で、近くには「春江小学校」がありました。そこで、今回は、江戸川区の「春江」の地名の由来について確認をしてみることにします。
まず、金子勤『東京23区の地名の由来』34頁(幻冬舎 2016)を見てみると、「春江町 昭和13年(注1938年)、椿町(椿群生)の「春」と一之江の「江」から付けられた合成地名。」と説明がされています。約80年前に作られた合成地名ということです。ですから、それほど古い地名ではないことになります。
「椿町」(「椿」の旁)と「一之江」から来ているわけですが、単純に「椿江」ではなく「春江」としているわけで、この合成地名はいろいろと考えられた結果であると思います。「一之江」の地名の由来は、他の記事(「江戸川区「一之江」の地名の由来・歴史」2022年4月2日)で調べていますので、「椿町」の地名の由来を調べないと「春江町」の由来が分らないものです。そこで、椿町の地名の由来を調べてみることにします。
椿町の由来については、大石学『続 駅名で読む江戸・東京』(PHP研究所 2004)では、「春江の名前は、花の椿に関連がある。一之江新田の城立寺(春江2丁目)周辺には椿が多く、そのあたりは椿と呼ばれていた。現在、椿の名前は町名としてはなく、中川に架かる椿橋に残っているが、椿の「春」と一之江の「江」を組み合わせたのが春江である。」と説明がされています。
他に、椿町の由来について、江戸川区の公式サイトではないサイトですが、一之江新田は堀田図書英文(ほったずしょひでふみ:寛永20年(1643)12月25日没)によって1606年(慶長11年)に開拓が始められたもので、堀田図書英文は豊臣の旧臣で徳川家康の求めにより土着したとの説明があり、そして、この地は一之江村の草刈場(注:村や部落などにある共同で利用する茅などの草を採取するための場所)で、一面の茫々たる原野の中に椿の木が多数茂っていて、「椿場」とか「椿っ原」と呼ばれていた、との説明をしているサイトがあります(『ケアフリーえどがわ 地域包括ケアねっと』と『地名の由来 東京23区辞典』)。
これらの記事から、椿町の地名の由来は、約400年前に、椿の自生する土地であったことから名付けられたことだったことがわかり、地名から景色が浮かんでくるよい名前であると思います。現在でも、新椿橋・南椿橋という橋梁の名称として残っていますし、また、椿親水緑道、春江ツバキ公園、椿ひがし公園、第二椿児童遊園などの名称にも使われて、残っています。椿町は町名としては残っていないのですが、約400年の歴史ある名称の「椿」の名称はこれからも残したいものです。(筆者金井たかしのプロフィール)
「金井たかし 江戸川区の政策研究(金井たかし公式HP)」 (東京都江戸川区)
弁護士 金井高志(金井たかし)
(江戸川区在住 弁護士 武蔵野大学[江東区]法学部・大学院教授)
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