2022/4/2
江戸川区「一之江」の地名の由来・歴史
(金井たかしの「江戸川区情報」)
前のブログで、「船堀」と「瑞江」の地名の由来を調べてまとめてみました。「瑞江」の由来を調べていた際に、「瑞江」が「瑞穂村」と「一之江村」が合併してできた名称で、その「瑞穂村」の由来を調べて記載しましたので、今回は「一之江村」の名称の由来を調べてみたいと思います。
そこで、「一之江村」の由来です。これは、「瑞江」の地名の由来を説明する江戸川区の公式サイトでは説明がなされていませんでした。
書籍では、「一之江町・二之江町」の説明として、「この地が入江であったから。応永5年(1398)から一江、二江がある。」金子勤『東京23区の地名の由来』30頁(幻冬舎 2016)との説明がありました。
また、別の書籍では、「応永年間(1394~1427)のころの江戸川・葛飾の地名が知られる『葛西御厨田数注文写』(国立公文書館内閣文庫所蔵)には「東一之江」「西一之江」「二江」とあり、これらが古くからの地名であることが確認できる。由来は定かではないが、『江戸川区史』には、一之江に関して境川両岸の集落で、「江の名称から入江であったことは確かである」と推定している。」大石学『続 駅名で読む江戸・東京』(PHP研究所 2004)との記載がなされているものもあります。
また、インターネットサイト『エドルネ日記』で、江戸川区教育委員会が出している書籍の中で説明があることが記載されていましたので、それを孫引きになりますが引用します。
「一之江は、その最初の記録である『葛西御厨注文』(1398)のころから、一之江境川をはさむ東一之江と西一之江の二村として存在しています。今日「一之江」と書かれるこの地名は、一江(葛西御厨注文)、一之江(『小田原衆所領役帳』1559)、一野江(『武蔵田園簿』1644ころ)、市江(元禄の改訂図)と異なった文字がつかわれています。『江戸川区史』(昭和51年)では、境川の両岸にあった集落で、江の文字が示すように入江があったので、この地名があると書いています。」(引用:江戸川区教育委員会『地名のはなし』)
これらで記載されている文献の『葛西御厨田数注文写』『葛西御厨注文』(1398)の説明ですが、葛西御厨の領地の数量や種類の詳細を書いた報告書です。そして、そもそも、この「葛西御厨(かさいのみくりや)」は、下総国葛飾郡南部(現在の江戸川区が含まれる地域)にあった、中世の寄進型荘園の一つで、伊勢神宮の御厨(神社や神棚に供える供物[神饌:しんせん]を調進する領地)であった領地のことです。
この『葛西御厨注文』の記録を見ると、約600年前の記録で「一之江」が出てきているわけで、そして、江戸川区は、伊勢神宮にお供えをする供物が作られていた領地だったことがわかります。
そして、上で記載されている境川は、現在、「一之江境川親水公園」になっているところです。
「一之江」の地名の由来を調べて、葛西御厨の時代にまで遡ることができ、また、一之江境川に入江があったことがわかりました。そして、その境川は、現在、親水公園になっています。今回の調査では歴史をかなり遡ることになりました。
(金井たかしのプロフィール https://go2senkyo.com/seijika/180638)
「金井たかし 江戸川区の政策研究(金井たかし公式HP)」 (東京都江戸川区)
弁護士 金井高志(金井たかし)
(江戸川区在住 弁護士 武蔵野大学[江東区]法学部・大学院教授)
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