2022/3/30
江戸川区「瑞江」の名前の由来・歴史 (金井たかしの「江戸川区情報」)(金井たかしのプロフィール)
新川千本桜のことを調べていた続きで、現在住んでいる「船堀」の地名の由来を調べていて、次に気になったのが、幼稚園から大学生まで住んでいて、社会人となってからも継続して住んでいた「瑞江」の地名の由来です。
この点について、インターネットで調べると、江戸川区の公式サイトが見つかりました。
ここでは、以下のような説明がありました。
「地名の由来 『瑞江』
「大正二年、瑞穂村・一之江村が合併して「瑞江村」が誕生しました。合併に際して、両村の一字を取って名づけられました。」
また、瑞江の地名の由来について、書籍で、「大正2年に瑞穂村『瑞』と一之江村の『江』を採ってつくられた合成地名。瑞穂とは瑞々しい初穂。初穂とは稲、すすき等の穂先。」(金子勤『東京23区の地名の由来』34頁(幻冬舎 2016))との説明もありました。
まとめると、瑞穂村と一之江村が合併して、それぞれから一文字をとって、「瑞江村」が生まれたということです。そうすると、今度は、そもそもの「瑞穂村」の由来と「一之江村」の地名の由来が気になるものですが、ひとまず、瑞穂村の名前の由来を調べてみます。
「瑞穂村」については、江戸川区の公式サイトにおける「瑞江」の由来の説明の上で、「明治22年、下鎌田、上今井、下今井、当代島、前野、二之江の各村が合併し「瑞穂村」が誕生しました。当時、水田地帯の特色を取って瑞穂村と言う新村名が付けられました。」と記載がなされています。確かに、当時、これらの地域は水田地帯だったのでしょう。「瑞穂」村という、水田のイメージにぴったりの村名がつけられたのです。
現在、「瑞穂」の名称があったことが残されているのは、新中川の最下流の「瑞穂大橋」だけのようです(ウイキペティアの「瑞穂村」の説明から)。新中川が旧江戸川の右岸に合流する場所に「瑞穂大橋」があります。私は小さいころから「瑞穂大橋」の名前を知っていましたが、この「瑞穂」の名前に大変古い由来があるのは、今回調べてみて初めて知りました。「瑞穂大橋」についての説明は以下のサイトに詳しく載っています。
『東京の橋』「瑞穂大橋(みずほおおはし)」
以上、「瑞江」の名前の由来について調べてみました。私が卒業した中学校は「江戸川区立瑞江第三中学校」ですが、「瑞江」の名前にこのような由来があることは認識していませんでした。ここでは、瑞穂村の名前の由来までの記載にしておきます。次は、「一之江村」の由来についても調べたいと思います。私は大学生時期に一時期、西一之江に住んでいましたので、「一之江」の名前の由来についても調べて、また、別のブログで記載したいと思います。(金井たかしのプロフィール)
「金井たかし 江戸川区の政策研究(金井たかし公式HP)」 (東京都江戸川区)
弁護士 金井高志(金井たかし)
(江戸川区在住 弁護士 武蔵野大学[江東区]法学部・大学院教授)
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https://twitter.com/kanai_jsc (江戸川区に関する情報を発信しています。)
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