2026/7/9
7月8日は、安倍晋三元総理が銃撃に斃れた日です。
その命日に、東京ビッグサイトで開催されている「安倍晋三 回顧展」に行ってきました。
会場の入口では、厳重なセキュリティチェックが行われていました。ペットボトルを持っている人には、「一口飲んでみてください」と確認がありました。その光景を見ただけでも、4年前に起きた出来事の重さを、あらためて感じざるを得ませんでした。
入口では、安倍元総理と近しかった方々のインタビュー映像が流れていました。会場内には、子どもの頃の文集や写真、後援会の会報、そして長期政権を支えたさまざまな資料が展示されていました。政治家としての安倍晋三だけではなく、一人の人間としての歩みをたどることができる展示でした。
国会で行われた野田佳彦元総理による追悼演説文も展示されていました。政治的立場を超えて、同じ時代に総理大臣を務めた者として、故人に向き合う言葉には、深い重みがありました。
この日は命日ということもあり、会場では国会議員の方々の姿も見かけました。とりわけ印象に残ったのは、岸田文雄元総理の姿です。会場にいた来場者の方々に対して、安倍元総理とのエピソードを語られ、その後、展示を一つひとつ見て回っておられました。政治の世界で長く時間を共有した方だからこそ語れる言葉があるのだろうと思いました。
私は、安倍元総理が暗殺されたことにより、わが国の歴史は変わってしまったと確信しています。
もちろん、どのように変わったのかを断定することはできません。歴史に「もしも」はありません。しかし、歴史を振り返れば、一人の政治家の死が、その後の国の進路に大きな影響を与えた例は少なくありません。
たとえば、原敬首相が東京駅で暗殺された事件があります。私の想像にすぎませんが、もし原敬がその後も生きていれば、昭和の時代において西園寺公望の後を継ぐような重臣となり、日本の政治をより穏健な方向へ導いていたのではないかと思うことがあります。そうであれば、軍部の暴走を止める力になったのではないか。あの愚かな戦争へ向かう流れも、どこかで違ったものになっていたのではないか。そう考えずにはいられません。
安倍元総理の暗殺も、将来の歴史教科書に間違いなく記される事件だと思います。
問題は、その事件がどのように記されるかです。
「あの時、日本は道を踏み外した」と記されるのか。それとも、「あの事件をきっかけに、国民が民主主義と言論の大切さをあらためて考え直した」と記されるのか。
それは、これからを生きる私たちにかかっています。
政治家の評価は、人によってさまざまです。安倍政治についても、賛否があることは当然です。しかし、選挙という民主主義の根幹の場で、暴力によって政治家の命が奪われたという事実は、決して軽く見てはなりません。
言論には言論で向き合う。意見の違いは、選挙と議論によって乗り越える。これが民主主義の基本です。その基本が揺らぐとき、国の未来もまた揺らぎます。
回顧展を見ながら、私は安倍元総理を偲ぶと同時に、政治に関わる一人として、自分自身の責任について考えていました。
政治とは、遠い世界の話ではありません。国の政治も、県の政治も、市の政治も、すべて私たちの暮らしとつながっています。だからこそ、私たちは政治に無関心であってはならないのだと思います。
7月8日という日を、単なる過去の悲劇として終わらせてはいけません。
この国の民主主義を守るために、私たちは何を考え、何を語り、何を次の世代に残していくのか。
安倍晋三元総理の命日に、そのことを深く考えさせられました。
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