2026/7/7
20歳のとき、私は北海道をバイクで旅しました。期間はおよそ1か月。今思えば、若さだけを燃料にして走っていたような旅でした。
基本はテントによる野宿です。お金もありませんし、何より「どこでも寝られる」というのが、当時のバイク旅の自由さでもありました。それでも、時折ユースホステルを利用しました。
今の学生さんには、ユースホステルという存在はあまりなじみがないかもしれません。しかし、35年ほど前、私が学生だった頃は、まだまだユースホステルは人気がありました。とりわけ北海道には数多くのユースホステルがあり、夏休みを利用して北海道のユースでアルバイトをする友人もいたほどです。
そんな北海道バイク旅の中で、どうしても行かなければならないと思っていた場所がありました。
利尻島と礼文島です。
私は宗谷岬からフェリーに乗り、島へ渡りました。そして向かったのが、礼文島の「桃岩荘ユースホステル」でした。
そこで私を待ち受けていたものは、その後30年以上たっても忘れることのできない、実に稀有な体験でした。
桃岩荘は、普通の宿ではありません。
かつて北海道を旅する若者たちの間では、桃岩荘ユースホステルは、えりも岬ユースホステル、知床岩尾別ユースホステルと並んで「北海道三大バカユース」の筆頭とも呼ばれていたそうです。当時は「日本三大バカユース」のひとつと聞いておりました。もちろん、これは単なる悪口ではありません。むしろ、あまりにも個性的で、あまりにも全力で、普通の宿では味わえない強烈な体験ができる場所だという、旅人たちなりの最大級の賛辞だったのだと思います。
桃岩荘は、昔ながらのミーティングを売り物にした、歌と踊りのユースホステルです。港ではヘルパーさんたちが旗を振って出迎えてくれます。宿へ向かう送迎車の中では、知性や教養、そして羞恥心を捨て去る儀式のようなものが始まります。
初めての人は、正直、面食らいます。
「いったい自分はどこへ連れて行かれるのだろう」
そう思った人も多かったのではないでしょうか。
しかし、宿に着けばさらに驚きます。玄関ではタンバリンやマラカスが鳴り響き、まるで長年の友人が帰ってきたかのように迎えられます。初めて泊まる人にも「お帰りなさい」と声をかける。宿泊者同士も本名ではなく、ニックネームのような「桃ネーム」で呼び合う。そこには、日常とはまったく違う世界がありました。
夜になるとミーティングが始まります。島の観光案内や送迎の説明も、ただ事務的に話すのではありません。寸劇を交え、歌い、踊り、みんなを巻き込んでいきます。歌謡曲もあれば童謡もあり、桃岩荘オリジナルの歌もあります。
私が行ったときには、吉田拓郎さんの「落陽」をみんなで歌いました。そして、今でもよく覚えているのが、「遠い世界に」をみんなで輪唱したことです。見知らぬ旅人同士が声を合わせるうちに、不思議と一体感が生まれていく。あの歌声の重なりは、今も耳の奥に残っているような気がします。
礼文島の大自然、最北の島の空気、そして人間の熱量。そのすべてが、桃岩荘という場所で不思議に混ざり合っていました。
桃岩荘には、いくつもの独特な文化があります。たとえば、館内では日本標準時より30分進んだ「桃岩時間」が使われます。朝はラジオ体操、宿泊者による掃除大会。全館禁酒・禁煙で、男女別室、ゴミの分別や食器洗い、起床・消灯時間など、ルールもかなり徹底されています。
一見すると自由なようでいて、実はかなり規律があります。
しかし、その規律があるからこそ、あの独特の一体感が生まれていたのかもしれません。
桃岩荘には「愛とロマンの8時間コース」と呼ばれる、礼文島西海岸を歩く名物コースもあります。礼文島の厳しくも美しい自然を、全身で味わうコースです。こうした文化も含めて、桃岩荘は単なる宿泊施設ではなく、旅人にとって一種の通過儀礼のような場所だったのだと思います。
私にとって、桃岩荘で得た一番の収穫は、何より楽しかったことです。
しかし、それ以上に大きかったのは、「羞恥心をなくすことができた」ことでした。
20歳の若者にとって、人前で歌う、踊る、叫ぶ、ばかばかしいことを全力でやるというのは、なかなか勇気のいることです。最初は恥ずかしい。周りの目が気になる。自分がどう見られているかを考えてしまう。
しかし桃岩荘では、そんなことを気にしている方が、むしろ損をします。
みんなが全力で歌い、踊り、笑っている。ヘルパーさんたちは全力で迎え、全力で見送り、全力でその場をつくっている。その熱量に巻き込まれるうちに、自分の中にあった妙な照れや遠慮が、少しずつ消えていきました。
「恥ずかしがっている場合ではない」
そんな感覚を、20歳の私は礼文島で覚えたのです。
そしてこの経験は、その後の人生において、非常に役に立ちました。
若い頃から、人が躊躇するような、少しばかげたことでも、私は意外とやることができました。もちろん、何でもかんでも無茶をするという意味ではありません。ただ、人前で何かをすることに対して、必要以上に恥ずかしがらなくなったのです。
現在の私は職業柄、駅前で街頭演説をすることもあります。選挙戦では、多くの人の前で声を出し、手を振り、ときにはパフォーマンスのようなこともします。普通の人なら「恥ずかしい」と思うかもしれません。
しかし私は、あまり恥ずかしいとは思いません。
その原点をたどると、やはり20歳の夏の桃岩荘に行き着くのです。
あのとき、礼文島の港で、宿の中で、ミーティングで、私は自分の中にあった小さな殻を一つ破ったのだと思います。
旅には、景色を見る旅もあります。名物を食べる旅もあります。歴史を学ぶ旅もあります。
しかし、人生を少し変えてしまう旅というものもあります。
私にとって桃岩荘ユースホステルは、まさにそういう場所でした。
30年以上たった今でも、あの空気を思い出します。北の島の風。ヘルパーさんたちの声。歌と踊り。見知らぬ旅人同士が、あっという間に打ち解けていく不思議な時間。
そして、港での盛大な見送り。
恥ずかしいことを、全力でやる。
ばかばかしいことを、真剣にやる。
それが、どれほど人の心を動かすのか。どれほど人を自由にするのか。桃岩荘は、それを教えてくれた場所でした。
あの20歳の夏がなければ、今の私は少し違っていたかもしれません。
北海道の道をバイクで走り、利尻島と礼文島へ渡り、桃岩荘に泊まったこと。あれは、ただの学生時代の思い出ではありません。
私にとっては、人生のどこかで今も生き続けている、大切な原体験なのです。
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