2026/4/29
いま、Xで再び大きな議論になっているテーマがあります。
それが「外国人への生活保護」です。

発端は、福岡資麿厚労相の発言。
「困窮する外国人も人道的に支えるべきだ」という趣旨のものです。
この言葉に、多くの人が強い違和感を覚えました。
なにしろ生活保護法では、外国人に受給させることなど想定した文言はひとつもないからです。
Xには、率直な声があふれています。
「日本人が苦しいのに、なぜ?」
「税金は誰のためにあるのか」
「まずは日本人ではないのか」
これらの声を、単なる“排外的感情”として片付けてしまっていいのでしょうか。
私は、そうは思いません。
これはもっと深い――
「私たち日本人は大切にされているのか」という問いです。
だから私は日本人で本当に生活に困っていて、自殺まで考えているような人に寄り添い、市役所でそのための協力をしています。ですが、
それを郡山市生活支援課は受け入れない現状があります。
制度の話をすれば、確かに複雑です。
最高裁判所は
「外国人に生活保護の権利はない」としながらも、
行政による支給自体は否定していません。
つまり現実は、
ルールはあるようで、ない
線引きがあるようで、曖昧
そんな状態です。
この“曖昧さ”こそが、人々の不信感を生んでいます。
ここで誤解してはいけません。
問題の本質は「外国人かどうか」ではないのです。
本当に問われているのは、
👉 誰が決めているのか
👉 どんな基準で決めているのか
ということです。
説明されないまま、納得もないまま、
税金の使い道だけが決まっていく。
これに不安を感じるのは、当然ではないでしょうか。
こうした中で、郡山市の答弁はこうです。
「最高裁の判断を待つ立場である」
確かに、間違いではありません。
むしろ、とても“安全な答え”です。
でも――
それは、市民の問いに答えているでしょうか。
市民の声をひとつひとつ聴くと言って、しいね健雄市長は当選したはずです。
国はすでに動いています。
文部科学省は、
世界平和統一家庭連合に対し、
解散命令請求という強い判断を下しました。
外国人の生活保護については、 中央の行政が価値判断をすることは、もう避けられない時代になっているようです。
ところが、この動画で話している通り、統一教会の問題については、
「司法が決めるまで待ちます」
「判断は差し控えます」
それでありながら、外国人の生活保護については霞が関の意向通りに、立法や司法を無視してまで支給するという郡山市です。
この姿勢に、市民は何を感じるでしょうか。
人々は怒っているのではありません。
諦めかけているのです。
「どうせ何を言っても変わらない」
「決めるのはいつもどこか遠い場所」
「大坂佳巨が騒いでも無駄」
そう思い始めたとき、社会は静かに壊れていきます。
「人道か、日本人優先か」
そんな単純な話ではありません。
本当に必要なのは、
👉 納得できるルール
👉 説明される政治
👉 責任を持つ行政
です。
Xにあふれる声は、決して無責任なものではありません。
それは、
「ちゃんと説明してほしい」
「自分たちのことを考えてほしい」
という、極めてまっとうな願いです。
その声から目を背ける政治に、未来はありません。
郡山市もまた、
「待つ」だけでなく、「向き合う」段階に来ているのではないでしょうか。
今問われているのは、法律ではなく――
“姿勢”です。
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